プロフィール
- 長野県松本市 長野県道84号乗鞍岳線
- 標高 2716 m(標高2716mバス停)
- 登坂距離 29.7 km
- 標高差 1712 m
- 平均勾配 5.8%
- STRAVAセグメント
- 私のSTRAVAアクティビティ1, 2
「最高峰」は一つしかない。当然の話である。日本の最高峰は富士山だが、自転車で到達できる最高峰は、乗鞍岳の山頂直下に位置し、長野県と岐阜県のおおよその県境にあたる「畳平」だ。畳平に向けて長野県側から登る道が『乗鞍エコーライン』である。
昔から人々の往来や物資の流通のために、中信地方と飛騨地方の中心都市である松本と高山を結ぶ道が切り開かれてきた。北回りで安房峠を越えるか、南回りで野麦峠を越えるか。これらのルートは、北アルプスを横切る道として古くから小さなルート変更を繰り返し、今なお残る素晴らしい峠である。
安房峠を越える国道158号線の整備が進み、交通量が増加した。その結果、交通の円滑化を図るため、1998年に安房峠の直下に安房トンネルが開通した。野麦峠は1968年に発表された山本茂実の小説「あゝ野麦峠」と、その映画化によって、一時は観光客が押し寄せたが、今はその面影を山頂に残る茶屋や石碑に垣間見るだけである。安房峠も、野麦峠も、一部の峠好きが訪れる趣ある峠となっている。
乗鞍岳の標高は3026 m。北アルプスの一部に含まれつつも、強い隆起と侵食によってできた他の峰々とは異なり、2200 mもの高さの基盤岩類の台地の上に、厚い溶岩が繰り返し噴出してできた、どっしりとした、なだらかな山容を持つ。安房峠や野麦峠は、この巨大な質量をもつ乗鞍岳を南北に迂回するように道が設けられている。
松本から乗鞍岳の山頂直下「畳平」へ向かう『乗鞍エコーライン』が1963年に開通し、1979年には全区間が舗装された。乗鞍岳を迂回することなく、あえて山頂に向かって道を伸ばし、3000 m級の山を気軽に楽しむための観光道路である。乗鞍エコーラインは日本で最も標高の高い2716 mを通る道路となった。高山から畳平へ通じる乗鞍スカイラインと合わせ、松本と高山を結ぶ新たな「観光の街道」と言ってもよいかもしれない。
こうして、私たちはダイナミックな山岳ルートを自転車で楽しむことができるようになった。
松本の平野から西を望むと、山々の奥に乗鞍岳が顔を覗かせている。松本から乗鞍へ向かうには、梓川に沿って山間を進む。トンネルをいくつも通り、梓湖畔を抜けて、安房峠へ続く国道158号線に別れを告げて左折する。ここ「前川渡」信号が、「畳平」へと続く県道84号乗鞍岳線『乗鞍エコーライン』の起点であり、山頂まで約30 kmの登坂が本格化する。
しばらく進むと、両側にペンションが目立つようになり、宿泊や飲食など、観光の拠点となるエリアを抜ける。起点から約10 km進んだところに位置する乗鞍観光センターが、日本で有数のヒルクライムレース「乗鞍ヒルクライム」のスタート地点である。
観光センターを過ぎると、緩やかな勾配の樹林帯を進み、「三本滝」から先は、マイカー規制区間に入り、バスやタクシー、自転車のみが通行可能となる。三本滝以降は道幅が狭まり、山の懐に深く入り込んでいる印象が強まる。
少しずつ空が広く感じられるようになり、位ヶ原山荘にたどり着くと、目の前に圧倒的な存在感を放つ乗鞍岳が現れる。深田久弥が「日本百名山」で「ここからの眺めを、私は日本で最もすぐれた山岳風景の一つに数えている」と評した景色である。
位ヶ原を越えると、木々の低い高山の風景に変わり、急勾配が繰り返し現れる。いつしか開けた谷側の景色に目をやると、これまで登ってきた標高を実感できるとともに、山頂に目を向けると、まだ先に残る途方もない道のりに圧倒される。
標高2500 mを超える場所でヒルクライムを楽しめるのは、日本では乗鞍だけだ。スタートから位ヶ原までの長い道のりは、山頂へと続くクライマックスに向けた準備と言ってよいだろう。乗鞍エコーラインで最もエキサイティングなのは、自転車で到達できる日本最高標高地点を視界に捉えながら、希薄な酸素の中で、乗鞍と、そして自分自身と向かい合いながら標高を上げていく、位ヶ原から山頂までの区間である。
私の初登攀は2023年8月。日本でも有数のヒルクライムレースである「乗鞍ヒルクライム」の舞台だった。
どんな登りでも、初めての登坂は期待と不安が入り混じる、最も気持ちが昂る瞬間だ。次にどんなコーナーや勾配が現れて、どんな景色が待っているのか。前のめりになる気持ちをぐっと抑えて、オーバーペースに気をつけて、先に待ち受ける未知の登坂を攻略すべく、一歩一歩ペダルを確実に踏み込む。
乗鞍の初登坂を「乗鞍ヒルクライム」という特別なレースで経験することができれば格別だろう。私はこの機会をコロナ禍での大会中止や、自身の怪我により3年以上の間待つことになった。
いよいよ迎えたレースに向けて、私は2週間前から松本近辺に滞在していたが、決して試走は行わなかった。「初めての乗鞍」をレースで味わうために。
レース終盤になると、優勝候補の選手たちがペースを上げ、先頭集団は10人ほどに絞られた。私は位ヶ原手前で遅れながらも、先頭のペースが緩むことで復帰を繰り返した。遂には完全に遅れ、単独になった。その時、谷側の視界が開けた。どこまでも広く、遠く見渡せる絶景に目を奪われた。気付けば高いところまで登ってきていた。
「今日まで待っていて良かった。」
苦しくて遅れたはずが、一瞬疲労を忘れ、ペースを保つのが全く苦にならないと感じた。むしろ、この待ちに待った登坂が終わってほしくない。そう思った。
ここにいる全ての選手が、この日のためにトレーニングを積んで、高めたフィジカルをぶつけ合っている。その想いを「乗鞍」は、真正面からしっかりと受けとめてくれている。最高のコースを、最高の舞台で味わっている。私はそれを全身で感じながらフィニッシュを迎えた。
伝説の話ではあるが、乗鞍岳の開山は大同2年(807年)。征夷大将軍・坂上田村麻呂が、飛騨平定の際に登頂したことが始まりとされる。江戸時代には信仰登山の場として栄え、明治以降は徐々に一般登山も行われるようになった。
今では、サイクリストが自転車で到達できる日本最高標高地点として、また最高峰のレースの舞台として、たくさんのクライマーの目標となっている。乗鞍はサイクリングの歴史をもまた着実に刻んでいる。
「初めまして」と挨拶する新参者の私を、乗鞍は「ようこそ」と最高の天気で迎えてくれた。
参考文献
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