関田峠(せきたとうげ)

日本百名登への道

プロフィール


全く繋がりのないように思える二つの話をしようと思う。

一つ目は、長野市から自走圏内の峠に関して。

この地域の多くの峠と私の初対面は、実業団レースを転戦していた時に所属していたチームの合宿の時のことだった。今回の主役、関田峠も例外ではなかった。

チームの監督は宮澤崇史。北京五輪ロードレースの日本代表として出場し、ヨーロッパでも活躍した名選手だ。長野市出身の彼のもと、チームはしばしばこの地で合宿を行っていた。

二つ目は、タイ合宿について。

日本のロード選手の中には、冬になると寒さから逃れて、東南アジアのタイで合宿を行う選手が多くいた。私もその一人であった。タイは乾季の真っ只中。気温30度前後、雨もほとんど降らず、毎日思う存分走り込める理想的な環境が広がっている。

「寒さを逃れ、常夏の国で練習に励む」

ヨーロッパで活躍するプロ選手や、私のようにそれを夢見る若者にとって、それは冬の風物詩だった。そんな「タイ合宿」が、信越国境の峠とどう結びつくのか。

新潟側から関田山脈を望む。中央の小さな凹みが関田峠。

関田峠の長野側の麓・飯山市の戸狩温泉にある一軒のタイ料理店。店主の女性は、タイ北部パヤオの出身。まさに私たちが冬に合宿をしていたエリアの小さな町である。パクチーやレモングラスの香りが、北信の町に漂う。「長野でタイ合宿」と称して、毎年のように足を運んだ。

だが、関田峠の頂を踏むことはしばらく叶わなかった。合宿は毎年ゴールデンウィーク前後に行われたが、その時期、関田峠はまだ冬季閉鎖中。日本有数の豪雪地帯にあるこの峠は、文字通り雪の壁に閉ざされていたのだ。

関田峠の新潟県側、上越市板倉区周辺は、日本でも屈指の豪雪地帯として知られている。

この地に残る記録によれば、1927年(昭和2年)2月、新潟県中頸城郡寺野村(現・上越市板倉区)で積雪8.18 mを観測したという。気象庁の公認ではないが、当時の高田測候所の記録にも残る、正真正銘の「人が住む地域としては日本最大の深雪記録」である。

ゴールデンウィークの合宿時、タイ料理店の前を過ぎ、飯山側から関田峠を中腹まで登ると、やがて道は雪に塞がれ、自転車の前に白い絶壁が立ちはだかる。その壁を前に「峠の向こう」を想像し、雪に自転車を突き立てて記念写真を撮ったりしながら、「この先はどうなっているのだろう?」と思いを募らせていた。

関田峠序盤は集落の中を進む。冬季は深い雪に閉ざされる日本有数の豪雪地帯である。

関田峠を語る上で欠かせないのが、その歴史的な役割である。

かつてこの道は、飯山盆地と越後を結ぶ重要な交易路だった。鉄道が開通する以前、越後からは米・魚・塩が、信州からは内山紙・箕・菜種などが往来した。峠道の両側には関所が設けられ、通行人や荷物を改めるほどの要衝だった。

戦国の世には、上杉謙信がこの峠を越えて信州へと進軍した記録も残る。上杉家の古地図では、関田峠を信州への道の中で特に太い線で描いているらしい。その重視ぶりがうかがえる。

峠の頂上には、嘉永2年(1849年)に建立された関田嶺修路碑が今も残る。越後の庄屋・藤巻勘之丞が私財285両を投じて改修した際の記念碑であり、その撰文を手がけたのは幕府昌平坂学問所の講官・佐藤一斎。峠に大学者の筆が刻まれていること自体、この道の重要性を物語っている。

明治以降、交通の中心は平野部へと移り、峠は長らく忘れられた。だが昭和49年、自動車道として再び開通。昭和63年には全線舗装も完了し、関田峠は現代の交通路として息を吹き返した。

ススキをはじめとした草本類が主体の光が原高原。空が広く、開放感がある。

冬の厳しさをとうに忘れた2022年7月25日。私はようやく新潟側からこの峠へ挑んだ。

雪に閉ざされた関田峠との出会いから数年。アタックは、より標高差の大きなヒルクライムを楽しめる新潟側からと決めていた。平野の広がる上越市街から見上げると、標高1,288 mの鍋倉山を主峰とする山並みが、信州との境を大きく遮っている。

集落や棚田が点在する前半を過ぎ、8 kmほど進んだところで勾配が一気に増す。冬の厳しい新潟の山肌は、高木が極端に少なく、ススキ原が多いのが特徴である。登坂中は常に空が広く、開放的な印象を受ける。

そして後半に差し掛かると、その視界がさらに開ける。光ヶ原高原である。一面に広がるススキ原が、太陽の光を跳ね返すように金色に輝く。まさに名前の通りの「光」の高原である。

やがて光ヶ原キャンプ場を過ぎると、わずか100 mにも満たないような、亀の甲羅状に溝の切られた激坂が現れる。これを合図とするかのように、最後の1.2 kmは直線的な九十九折の急登が待ち受ける。

光が原キャンプ場を過ぎると、亀の甲羅状の路面が現れる。強烈な激坂最終区間の始まりである。

ペダルを踏み切った先、峠の頂には大昔からの人々の往来を物語る石碑が並ぶ。ここが歴史の道であることを静かに伝えてくれる。

峠の先、長野側にはさらに巨大な山々がそびえる。野沢温泉から渋峠へと連なる上信国境の山塊である。関田峠は「山の国」信州への玄関口でもある。一方で、新潟側へと振り返れば、そこには日本海が輝いている。海のない信州の背後で、わずか数十キロ先に波が寄せているという事実が、なんとも不思議で美しい。

石碑や案内板が多く立ち並ぶ関田峠山頂。

冬は雪に閉ざされる信越国境の峠。日本を包み込む寒波から逃げるように、常夏のタイへと向かう選手たち。

息を切らして、日本一の豪雪地帯のど真ん中に位置する関田峠を登る。雪とは無縁のタイ内陸部の光景が脳裏に浮かぶ。

一生交わるはずのなかった二つの世界が、私の頭の中で奇跡的に出会い、ペダルを踏むたびに混ざり合って、ゆっくりと身体に溶け込んでいく。

関田峠の新潟側は日本海を背に標高を上げる。

参考文献

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