鹿嶺高原(かれいこうげん)

日本百名登への道

プロフィール


中央自動車道や飯田線が通る、伊那や箕輪の市街地から、桜で有名な観光地・高遠へと向かう道を進む人は多いだろう。道中、視線を上げると、重なる山々の奥に、遠くからでもその巨大さが一目でわかる山がある。それが仙丈ヶ岳だ。深田久弥の『日本百名山』によれば、「仙丈は千丈」とされ、その名は山の高さを表す形容から来ている。この山は、屏風のように広く高くそびえ、伊那・箕輪周辺から見ると最も魅力的な存在感を放っている。

ヒルクライムを終えるたびに、周囲の山々に目をやり「あの山は何というのだろう?」と気になって仕方がない私のようなクライマーにとって、「仙丈ヶ岳にできるだけ近づき、特等席で対面したい」と思うのはごく自然な流れだった。

箕輪から高遠方面に向かう小さな農道。道の先、中央の一番奥の山の塊が仙丈ヶ岳。

そして鹿嶺高原は、仙丈ヶ岳とともに私の心に深く刻まれることとなった。


鹿嶺高原は、もともと戦時中に軍用馬の飼育を目的に開拓された牧場だった。戦後は乳牛の飼育に転じ、季節的に農耕馬を預かる牧場としても機能していた。また、この牧場にはキャンプ場が併設されており、それが現在の『鹿嶺高原キャンプ場』の原点となった。

その後1952年に、鹿嶺高原の麓に美和ダムが完成。これにより、美和村(現伊那市長谷村)の、105戸の人家と100ヘクタールの農地が湖の底に沈んだ。村は、新たな農地開拓のため、ダムの補償金を使って大規模な農業水路開発を始めた。しかし、災害のために計画は頓挫。事業失敗による借金返済のために、鹿嶺牧場の高原開発に目を向けた。

美和村(現長谷村)から長野県企業局へ無料で譲渡された鹿嶺牧場の敷地は、県から大手民間企業に転売された。しかし、開発はうまく進まず、最終的に長谷村が買い戻すことになった。

昭和47年(1972年)頃に鹿嶺牧場は閉鎖され、観光開発も頓挫した。一方で、昭和41年(1966年)に告示されていた鹿嶺高原への車道が開通。徒歩で登るしかなかった高原へのアクセスが劇的に向上した。

紆余曲折を経た鹿嶺高原だが、大規模開発が行われなかったおかげで自然は手付かずのまま残った。車道の開通が追い風となって現在に至り、キャンプ場として注目を集めることとなった。


私は2024年8月上旬に鹿嶺高原の頂に立った。前日の午後に降り始めた雨は、明け方に上がり、太陽が顔を覗かせた朝7時半頃。私は滞在していた伊那の宿を出発して高遠方面へと走り出した。大地を湿らせた雨が一斉に蒸発して待機中へと放たれていく。青空が時折顔を出すものの、白い綿菓子のような雲がそこかしこにモクモクと湧き上がっている。

周囲に見えるはずの峰々はその雲に隠れているが、伊那谷の東に位置する峠や展望台に登ると、伊那谷を挟んで向かい合う形で中央アルプスが良く見える。鹿嶺高原も中央アルプスを望む絶景のキャンプ場であるはずで、登坂中に雲が晴れることを期待しての出発であった。

高遠からは国道152号線に入り、ここからは南へと進む。高遠から、遠く静岡県浜松市の秋葉神社を目指して進むこの道は、古来から信仰の道として栄えた秋葉街道である。そして間もなく、道の駅「南アルプスむら長谷」を過ぎると鹿嶺高原に向けて東へと折れる。

道は酷すぎず、綺麗すぎず。車のすれ違いは問題なさそうであるが、朝早めだったこともあり車とは一度すれ違っただけであった。頂上にキャンプ場があるが、せっかく絶景であろう山頂キャンプ場に宿泊しているのだから、早々に下山しても仕方がない。宿泊客はゆっくりしているのだろう。

前半で一度大きく緩むところがあり、それ以降もところどころ緩斜面が混ざる。しかし終盤はかなりの激坂が続き苦しむことになった。登坂全体の平均勾配が8%に迫るような登りであるのだから、そこに緩斜面が混ざるとなれば、そもそも急勾配を中心に構成されているのは当然であった。

最後に厳しくなるプロフィールの登りというのは、苦しさと正面から対峙することになり、「早く終わってくれ」という願いにも似た気持ちが強くなるが、その分フィニッシュで得られる達成感や開放感は大きくなる。緩斜面を快走しながら迎えるフィニッシュとは全く違うのである。


辿り着いた頂上での感動をさらに引き立てる仕掛けが、この登坂には用意されている。それが、「Kareina テラス」と名付けられた、天空に突き出したテラスだ。

下界はおそらく気温35度の猛暑に見舞われている頃だろうが、標高1800mを超えるここは日差しが暖かく、過ごしやすい。

私は雲に覆われた中央アルプスを前に、2時間もの間待ち続けた。しかしこの日、天気は味方してくれず、雲が完全に取れることはなかった。それでも、伊那谷から木曽路へと中央アルプスの鞍部を越える権兵衛峠が見えた。最も低い部分とはいえ、中央アルプスの稜線の一部が見えただけで良しとしよう。

再び雲が厚くなってきたので、そこで諦めることにした。

中央アルプスが見えなかった代わりに、テラスからクリートカバーをつけて数分、キャンプ場内を歩いて登った先にある展望台からは素晴らしい景色が広がっていた。テラスからは見えなかった中央アルプスが、少し位置を変えた展望台から見えることはないだろうと思いながらも、わずかな望みを持って中央アルプスに目を向けていた。

ふと振り返ると、雲の陰から巨大な山容が現れた。仙丈ヶ岳であった。

「おぉ!」

虚を突かれた私は、その巨大な山に一撃で圧倒され、思わず声を上げた。背中のポケットから取り出しかけていたあんぱんを、思わず展望台の下に落としてしまった。空からパンが降ってきたことに驚いて「うわっ」と声を上げたキャンプ客に謝り、我に返った。

もし中央アルプスがよく見えていたら、仙丈ヶ岳はここまでの衝撃を私に与えることはなかったかもしれない。伊那谷からは遠いと思っていた仙丈ヶ岳が、真正面にそびえている。雲の切れ間からその頂が覗く姿を、雲が完全に覆い隠すまで、私はじっと眺めていた。

夜に降った雨が水蒸気となって立ち昇ってくる。その間に顔を覗かせた仙丈ヶ岳の頂。その高さと大きさに圧倒された。写真下部、山肌を左上に向かって横切るラインは「南アルプススーパー林道」。標高2032mの北沢峠を経て南アルプスを突っ切るこの林道には、残念ながら自転車で立ち入ることはできない。

参考文献

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