雲仙仁田峠(うんぜんにたとうげ)

日本百名登への道

プロフィール


日本は多くの島々からなる国だけあって、海と山が非常に近い。海上から突き出るように聳える独立峰となると、それは遠くからでも一際目立つ存在となり、目を惹きつけられる。

最高峰の平成新山(標高1483m)や、三岳五峰(普賢岳・妙見岳・国見岳・野岳・九千部岳・矢岳・高岩岳・衣笠山)を含む20以上の山々が、ひとまとまりの山塊を形成する雲仙岳は、そんな洋上の独立峰の一つである。

このような山の中で、高い標高まで自転車で登ることができる山は意外と少ない。海岸線からその山を望み、「あの山の頂に自転車で近づきたい」という、クライマーなら誰もが想像する夢。それを叶えてくれるのが雲仙仁田峠に至るヒルクライムである。

有明海の洋上。島原と熊本を結ぶフェリーから見る雲仙岳。

四方八方から、山頂を目指してたくさんのルートがある雲仙岳の中で、大きな下りを挟まずに舗装路の最高標高地点の仁田峠に到達できるのは、小浜、島原、千々石からの、大きく3つのルートがある。

  • 小浜(おばま)温泉をスタートして、国道57号線で雲仙地獄温泉を経由して仁田峠に至るルート
  • 長い歴史のある観光地であり、過去の火山噴火による遺構も残る、島原から国道57号線を登るルート
  • 雲仙屈指の九十九折「雲仙ドラゴンロード」が魅力的な千々石(ちぢわ)からのルート

どれも非常に捨て難いのであるが、小浜温泉からのルートを取り上げようと思う。

蒸気が立ち上る海岸線の小浜温泉をスタートして、国道57号線の立派な道を進む。中腹までコンスタントに急すぎず、緩すぎず、ちょうど良い、気持ちの良い勾配で標高を上げる。

20 km以上に及ぶ登坂の中間地点を過ぎた頃に、蒸気の立ち込める一帯に差し掛かる。雲仙地獄と名付けられたこのエリアは、ここが日本有数の活火山であることを感じることができる。当然、温泉も湧き出る「雲仙岳」は、元々は「温泉岳」と呼ばれていた。1934年(昭和9年)に、日本初の国立公園に指定される際に、名称が改められたものである。

雲仙の最高峰である平成新山は、地質史という人類では想像の及ばないスケールの、地球の活動の中において、かなり新しい溶岩ドームである。1990年(平成2年)に始まり、5年間にも及んだ噴火活動により形成された。ほんの最近になって、九州を代表する雲仙岳の最高峰が入れ替わったのである。

最高峰を変え、名前までもを変えた雲仙。大地の営みを全面に表現し、人々を魅了するこの山は、今なお変化を続けている。

雲仙地獄では勾配が緩み、一呼吸置くことができる。残す距離は7 kmほど。ここで千々石からのルートと合流し、さらにラスト5 kmで雲仙からのルートとも合流して、「仁田峠循環道路」に突入する。3ルート全てが通ることになる、この最後の5 kmが仁田峠のクライマックスとなる。

仁田峠循環道路は元々は有料道路であった。雲仙ゴルフ場から仁田峠へと至る、この自動車道路が開通したのは、1936年(昭和11年)11月のこと。同年4月に着工して紅葉シーズンまでの完成を目指したが、工事が遅れ11月になったという。それでも相当なスピードで工事が行われたことがわかる。当時の日本は、やるとなったら、かなりのスピード感を持って事業が進んだのだろう。

1956年(昭和31年)には、循環道路の仁田峠以降の下り区間も含めて全線が開通した。日本道路公団が管理・運営した最初の道路であったという。2009年(平成21年)4月1日に雲仙市に移管・無料開放され、現在に至る。

有料道路の名残を残す料金所が循環道路の入り口となるが、ここには今も係員が常駐している。というのも、仁田峠の美しい豊かな自然環境を維持・保全するために、環境保全協力金100円が徴収されているからである。100円で反時計回りの一方通行路のクライミングを味わえるのだから贅沢なものである。

協力金100円をあらかじめ準備しておくと、料金所跡をスムーズに通過できる。

循環道路に入って標高を上げていくと、まず現れるのは第二展望所。その先、緩斜面を進むとフィニッシュとなる第一展望所に到着する。広大な駐車場や休憩所、トイレなどがあり、妙見岳山頂へと登ることができる、ロープウェイの乗り場もここ。雲仙山頂付近の観光拠点というわけである。

ロープウェイに乗らずとも、第一展望所からは、平成新山と有明海を一望することができる。ミヤマキリシマが咲き乱れる5月が花の季節であるが、秋の紅葉、冬の霧氷と木々が色づくシーズンをいくつも雲仙は持っている。


私の雲仙仁田峠への初登攀は2018年の12月24日。初めて長崎を自転車で旅した私は、佐賀県の伊万里から西へと進んで長崎県に入り、平戸、佐世保を通って長崎市の中心部へと南下した。その最中も、頭の片隅にはまだ見ぬ雲仙の巨大なヒルクライムがあり、楽しみにしていた。

初登攀は小浜温泉からのルートをとった。特に大きな理由はなかったと思うが、アメリカ合衆国のオバマ大統領が任期を終えてから、まだ日も浅かったこの頃は、「小浜温泉」が彼の就任と合わせて大々的にPRしていたことが記憶に新しかったのかもしれない。

初めての雲仙で、どうしても雲仙地獄を見て回りたかったので、登坂途中に大きな一旦停止を挟んだ。立ち止まったことには、もうひとつ理由があった。過去に私が所属していたロードレースチームの当時のチームメイトが車で登って来るので、合流するためである。

雲仙地獄にはぜひ立ち寄りたい。雲仙岳が活火山であることを五感で味わうことができる。

彼と初めて出会ったのは、ロードレースのプロ選手になることを夢見て渡った、フランス・ノルマンディー地方。年齢は私よりいくつか下であるが、自転車乗りのキャリアとしてはほとんど一緒、同期と言って良い。二人して、初めてのフランスで、ワクワクしながらツール・ド・フランスのシャンゼリゼゴールを観に行ったのを思い出す。

彼の、出身地である長崎への郷土愛は、彼と行動していると様々なところから感じられた。この時も、それが12月であったこともあり、「雲仙なら霧氷を見てほしいと」、仁田峠まで車で駆けつけてくれた。できる限りの軽装でヒルクライムをしていた私のために、ダウンジャケットやハイキング用の靴を車で持って上がってくれて、貸してくれたのである。それを身につけて、雲仙の冬の風物詩である霧氷を見るために、ロープウェイに乗りこんだ。

気象条件は、人間の力ではコントロールできない。この日、霧氷は見られなかった。ただ、この「おもてなし」は私の中に、雲仙という九州を代表する巨大な登坂とともに私の心に深く刻まれた。

この時、私は雲仙地獄で立ち止まったことから、小浜温泉から仁田峠までのルートを、最初から最後まで一息で登るという宿題を残している。改めて九州を代表するヒルクライムを味わうために、そして友人に会うために、再び雲仙の地を訪れることは間違いない。

仁田峠第一展望所から望む島原市街地。

参考文献

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