乗鞍スカイライン

日本百名登への道

プロフィール


下ってきた二人のサイクリストとすれ違う。

「通行止め!」「通行止め!」

二人揃って立て続けに発したその言葉の意味は理解できるのだが、そんなはずはないと頭が現実を受け付けない。

乗鞍スカイラインは、道路の崩落による通行止めが非常に多く、近年は通行できない期間のほうが長い。私が待ちに待って訪れた今回も、2022年9月の大雨で道路が崩落。通行止めが2024年8月20日に解除されたばかりであった。

私が滞在している高山の宿の主人も昨日、乗鞍岳の畳平まで友人とバスで出かけていた。その話を夕食で楽しそうに話してくれた。昨晩は雨も降っていない。通行止めになるはずがないのだ。

きっと二人は、「マイカー規制」を通行止めと勘違いしたのであろう。そう思って登り続けた。

高山市街地から畳平を目指す乗鞍スカイラインは、私が知る限り、道中に信号が存在しない、日本最大の標高差を誇る登坂である。どうせなら最高の天気の中、その標高差を心身共に最高のコンディションで、ひと続きで味わいたい。高山に滞在して10日ほど、やっと訪れた晴天の中、すでに1時間ほど登ってきた。通行止めでは困るのだ。

乗鞍スカイラインの入り口「平湯峠」にたどり着いた私は呆然とした。腕でバツ印を作るガードマン。通行止めは現実となった。道路の崩落を検知するためのセンサーが反応したことによる通行止め。点検で異常がなければ明日にでも開通するという。よりによって、なぜ今日だけ。私は明日、所用で高山を後にしないとならない。残されたチャンスは明日の午前中だけ。

私は初見の登りでは、その登坂と真剣に向き合うためにタイムアタックをすると決めている。今日の疲労を引きずるかもしれない明日にやり直すのか、来年以降に持ち越すのか。そもそも通行止めは明日までに解除されるのか。

心のモヤモヤを晴らそうと登った安房峠から望む、雲ひとつない穂高連峰も私の心を癒すことはなかった。もし乗鞍に、今日登ることができていたら、どんなに絶景だったであろう。モヤモヤを抱えたまま高山の宿に戻った。

宿はホームステイ型のシェアハウスで、晩御飯では住人や宿泊客と一緒にテーブルを囲む。残念で仕方がなかった通行止めへの気持ちは、賑やかな食卓の中で落ち着いてきた。そして、明日の通行止め解除が発表された。「誰も飲まないから」と主人から冷蔵庫に残っていたビールもいただいた。この10日間ほど胃腸の調子が悪かったため、久しぶりに飲んだビールは身体に染みわたった。

すでに心は決まっていた。モヤモヤを残して高山を去るのは嫌だ。明日二日連続の乗鞍に挑もう。そう決心して布団に入った。


乗鞍スカイラインの歴史は、旧陸軍が乗鞍山頂に建設を計画した航空機エンジンの高地試験場へのアクセスルートとして始まった。1941年から1943年にかけて建設された幅員3.6 m、総延長15 kmの道路だった。

戦後、1945年に連合国占領軍に接収されたが、1948年に接収が解除され、「乗鞍公園線」として県道に編入された。同年、現在も高山と畳平を結ぶ濃飛バスが運行を開始した。濃飛バスは軍用道路建設当時、戦後の観光需要を見越して自費を出資し、幅員3.0 mで計画されていた道路を、自社のバスが通行可能な幅員3.6 mまで拡張していたのである。

1954年には交通量の増加により、乗鞍公園線は主要地方道に昇格した。その後、徐々に夏季の渋滞が深刻化し、1965年には12時間で5600台もの車が乗鞍を訪れる状況となった。これを受けて、乗鞍スカイライン構想が持ち上がった。大部分が1車線で、未舗装路であったこの道を、1969年から1973年にかけて2車線の舗装道路とする大規模な工事が行われた。

この工事は中部山岳国立公園内に位置するため、厳しい環境保護の制約が課せられた。ルート変更の禁止や高山植物の移植、法面の緑化などが義務付けられた上に、冬が長いため、限られた期間にのみしか作業ができない厳しい条件下での工事となった。

1973年、乗鞍スカイラインが正式に開通し、観光地としての価値が飛躍的に向上した。そして、2003年には環境保護のため自家用車の乗り入れが制限された。こうして、現在我々は乗鞍スカイラインを自転車で楽しむことができるのである。


高山市丹生川町の国道158号線「町方」交差点から、舗装路の日本最高標高地点である「畳平」までの距離は39 km。

前半は国道158号線を走る。序盤は平坦基調でスピードを出せる区間が続き、約15 kmを過ぎると勾配が増してくる。約22 km地点で国道158号線を離れ、県道5号「乗鞍高原線」へ入ると、10%を超える勾配が連続して現れる。低速になるが、急激に高度を上げ、乗鞍の山頂に迫る感覚が心地よい。自分の息遣いが次第に大きくなり、山との対話が始まる瞬間だ。

県道に入って3 kmほどで平湯峠に到着。ここが乗鞍スカイラインの入り口であり、この先はマイカー規制区間となる。進めるのは観光バス、タクシー、歩行者、自転車のみに限られる。しばらくの間は木々の中の急勾配を進むが、深い森ではない。「景色が開けるぞ」という雰囲気が漂う。実際その通りで、進むにつれてより空は広くなり、気づけば谷側は景色の抜けが良くなっている。

この登坂のハイライトは終盤の5 kmといって間違いないであろう。日本有数のダイナミックな九十九折が目の前に現れる。美しいスイッチバックを越えた先で勾配が急激に緩み、アップダウンの道の先に、終点となる畳平を視界にとらえる。高い木々が一切存在しない広大な高原の中を駆け抜ける。時折現れる登り返しを下りの勢いで乗り越えて、フィニッシュに飛び込む。風になって「乗鞍に溶け込む」ように長い登坂を終える。ここまでペダルを踏み続けた人だけに与えられるご褒美である。

乗鞍スカイラインのラスト5 km。壮大な高原の景色を余すことなく味わうために、斜面上をできる限り畝り、長い時間楽しめるように作られたとさえ思えてしまう美しい九十九折。

私の初登攀は、通行止めの翌日、2024年9月7日となった。

同じルートを1時間にもわたって、2日連続で淡々と踏んでいく。どうしても意識してしまうのは、昨日の自分自身である。昨日よりは少し良いタイムで走りたい、そう思ってしまう。自然にペダルに力が入るのを我慢しながら平湯峠に到着した時には、昨日のタイムより少し速く、かつ少し余裕があるように感じられた。心配した疲労はあまり感じず、むしろ調子は良いようだった。

何よりも、無事に平湯峠のゲートを通過して、乗鞍スカイラインに入ることができた。もう私の登坂を阻止する障壁はない。ペダルを踏み続ければ頂上に到達できる。それはほとんどボーナス区間のような感じだった。少しずつ薄くなる空気と、疲労の蓄積する身体。それとは全く別に高揚する気持ち。

こうして2時間近く、日本で最も巨大なヒルクライムと向き合って到達した山頂「畳平」。最高の景色を期待していた私の前には、昨日の晴天から一転、雲が立ち込めていた。

しかし、昨日から私に重たくのしかかっていた心のモヤモヤは完全に消え去って、それはそれは見事に晴れ渡っていた。

下山のために畳平を後にした直後、少しの間であったが、晴れやかな私の心を写すかのように青空が顔を出した。

参考文献

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