UFOライン(寒風山隧道)

日本百名登への道

プロフィール


西条の街から内陸を望めば、途方もない高度差と、果てしない横幅をもって、山々が壁のように立ちはだかっている。

石鎚山脈。東西に伸びる四国山地のほぼ中央に位置し、西日本最高峰の石鎚山(1,982 m)を筆頭に、瓶ヶ森(かめがもり)、笹ヶ峰といった高峰が肩を並べる。その稜線は、古来より石鎚信仰の対象として崇められ、また伊予(愛媛)と土佐(高知)を隔てる壁でもあった。

昔から人々は、石鎚山脈を、桑瀬(くわぜ)峠(1,451 m)やシラサ峠(1,410 m)を越えて、交流を続けてきた。

西条の市街地から望む石鎚山脈。中央の美しい三角形の山が瓶ヶ森。

昭和39年、「寒風山(かんぷうざん)隧道(旧道)」が竣工した。標高1,120 m、全長945 mの長さで石鎚山脈を貫通したこの隧道は、地域住民の悲願であったに違いない。そして平成11年には、さらに長大な「寒風山トンネル」が開通。全長5,432 mというこの国道トンネルは、日本の無料一般道では最長を誇る。

その名が「桑瀬」ではなく「寒風山」とされたのは、この道を登れば否応なく目に入る、山容堂々たる寒風山の存在感ゆえだろう。ただし、往時の峠越えに思いを馳せると、「桑瀬トンネル」という名もまたふさわしく感じてしまう。

国道194号線の旧道を行く。V字に切れ込んだ谷の奥に聳える寒風山。

そして、この寒風山隧道(旧道)の高知県側を起点に、西日本屈指の「天空の道」が始まる。その名も、UFOライン。

全長約27 kmのUFOラインは、起点から16 kmで、舗装路として西日本最高所の1,685 mに達する。その後は登り下りを経て、石鎚山の登山口「土小屋(つちごや)」(1,492 m)へと至る。

石鎚山脈の高峰・瓶ヶ森の直下を通るからであろう。正式名称は町道瓶ヶ森線である。雄大な峰々が続く道という意味で「雄峰(ゆうほう)ライン」と呼ばれ、さらに未確認飛行物体が写真に写り込んだことから、いつしか「UFOライン」という愛称が定着した。


私がこの道に初めて出会ったのは、世界最大の標高差を誇るヒルクライムレース「台湾KOM」を目前に控えていた、2017年9月。旅行で愛媛に滞在していた私に、地元のサイクリストの方々が「ぴったりの練習場所がある」と案内してくれたのが、UFOラインだった。

西条から頂上を目指した。スタートこそ全力で登っていたものの、途中からは皆で談笑したり、休憩を挟んだりしながら進んだ。終わりが見えない。どこまでも登りが続く。

ふと木々の間から空が広がり始めたと感じた直後に、目の前の景色が一変した。深い樹林帯から一転、緑の笹原に覆われた尾根が広がり、その中に一本の道が延びている。自らの脚で登りきったサイクリストだけが出会える、まさに天空の絶景だった。

青空の下、笹原の稜線に一本の道が伸びる。

それからもUFOラインは私の中にあり続け、ある思いが芽生えていった。このルートを、西条の平地から、ひと息で駆け上がってみたい。西日本最大の標高差を、一度も止まらずにアタックしてみたい。そんな挑戦心が、心の奥に少しずつ膨らんでいた。

そして2025年6月19日。ついにその時が訪れた。

スタートは、西条の加茂川橋交差点。ここから寒風山トンネルへと向かう国道194号が始まる。最高標高地点まで、信号はもうない。私の全力を、この巨大な登坂は、遮るものなく受け止めてくれる。

最初は整備の行き届いた国道。やがて寒風山トンネル手前で旧道へ分岐し、木漏れ日の中を淡々と登っていく。やがて暗く湿った寒風山隧道が口を開ける。電灯が一つもない真っ暗な空間。フロントライトの灯だけを頼りに、一歩一歩、峠の向こうへと進む。

そして再び明るみに出た先に待つのが、UFOライン。

寒風山隧道を越えたあとも、UFOラインには計8つのトンネルが現れる。最も長いのが、この第三号隧道。むき出しの岩肌が印象的。

急勾配に呼吸が荒くなり、脚もとうに悲鳴をあげている。そこで視界が一気にひらけた。そう、この道はいつだって劇的である。緑の稜線に伸びる一本の道。そこへ自ら飛び込んでいく。圧倒的な景色を前に、疲れを忘れている。

目の前に広がる空間に吸い込まれるように、夢中でペダルを踏む。

脚にかかる負荷がふっと抜ける。突然手を返したかのように、立ち向かうべき相手だった重力は味方となって私の背中を押す。

1,685 m。最高地点である瓶ヶ森登山口を越えたのである。

笹原を抜けて、最高標高地点の手前。西日本最高峰1,982 mの石鎚山(左奥)が姿を現す。

私のアタックタイムは、1時間54分。国内のヒルクライムとしては異例とも言える長さである。

古来、人々が徒歩や馬で越えてきた桑瀬峠。それにはどれだけの時間がかかったのだろう。地域の人々は、トンネルの開通をどれほどの間、待ち続けたのであろう。

そして私は、この道に全力で向き合う日を、7年もの間、心に描き育ててきた。

これまで歩んできたこの道の長い時間の中で、私の1時間54分はほんの一瞬だった。考えるほどに、とてつもなく濃密で、美しい時間だった。


参考文献

  • 『予土の峠物語』著者 妻鳥和教
  • 『土佐の峠風土記』著者 山崎清憲
  • 『四国百山』企画・編集 高知新聞社編集局
  • いの町観光ガイド』Web資料

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