大弛峠(おおだるみとうげ)

日本百名登への道

プロフィール

長い間、私は日本全国を自転車で旅してきた。峠の先には、いつも未知の世界が広がっている。

我々の祖先は、急峻な山々が連なるこの島国で、往来のために峠を切り開いてきた。かつては国境であり、今では都道府県や市区町村の境界となることが多い。

峠を越えるとき、そこに待つのはどんな世界だろう。期待を込めて、そして少しの不安を胸に、境界を踏み越えていく。私はそんな瞬間がたまらなく好きである。


「最高峰の」といった表現は、その峠でも山でも、その全体を正確に言い表すにはかなり雑な、安易な言葉かもしれない。けれども、わかりやすく、そして強い響きを持つキャッチフレーズであることも確かである。

大弛峠は、ロードバイクで到達できる日本最高所の「峠」である。乗鞍エコーラインの「標高2716m」というバス停は、ロードバイクで行ける日本最高地点ではあるが、「峠」の名前は付いていない。標高2,360 mの大弛峠は、乗鞍や富士山スカイライン五合目に次ぐ、日本第三の高所であり、正真正銘「日本最高所の峠」なのだ。

奥秩父の主峰・北奥千丈岳、そして日本百名山の金峰山。その二つの峰の間を縫うように、この峠は通じている。標高2,600 m級の山々に挟まれながら、2,360 mの鞍部を越える。主峰とわずか250 mほどの標高差。この峠がいかに高所を通るかがわかる。

金峰山の山頂直下にそびえ立つ高さ15 mの巨岩「五丈岩」は、古来より山岳信仰の対象とされてきた。奈良時代以降、修験道が発展する中で、奈良県吉野の金峯山寺を総本山とする蔵王権現信仰が広がった。ここ金峰山にも蔵王権現が勧請され、五丈岩を有する金峰山は修験道の山となった。

甲府盆地のフルーツラインから、奥秩父山塊を望む。左奥に小さく突き出た五丈岩を確認できる。

大弛峠は古い歴史を持つかと思いきや、道路の開通は1969年と新しい。信仰の山、そして観光の山として金峰山が注目され、舗装路がここまで延びたのだろう。

五丈岩は、甲府盆地からも遠望できる。その右手の鞍部に大弛峠がある。なんと遠く、高いことか。それに挑む。心が高鳴る。


塩山駅から奥秩父山塊へ向けて、登坂が始まる。序盤は甲府盆地を代表する、ぶどう畑の中をまっすぐ登っていく。道幅が広いため傾斜を錯覚しがちだが、脚には確かな負荷がかかる。やがて果樹園が途切れ、深い森の中へ。左手には琴川(ことがわ)が刻んだ谷。広い二車線を基本としながら、時折道幅が狭まったり、景色も変化に富み、単調さはない。

前半区間は日本の里山といった雰囲気の中を行く。

空が開けると琴川ダムが現れる。ここで短い下りを経て、金峰山荘を通過する。この山荘は金峰山登山の拠点であり、ヒルクライムのほぼ中間地点となる。かなり雑ではあるが、この峠を前後半に分けるとすると、前半の方が平均勾配は厳しい。金峰山荘を越えて少しすると、勾配が緩む。実に5kmほどはこれまでの登坂と比べると、「平坦」と感じられる区間が続く。

しかし、この峠は甘くない。残り7.5 kmの平均勾配は約7.5%。全体を四分割すれば、もっとも厳しいのは最後という構成である。道幅は狭まるが、路面は終始良好。展望が大きく開けることはないものの、時折木々の間から見える五丈岩が近づいてくる。

木々の間から五丈岩を望む。一度気になり始めると、その存在を探してしまう。

最後まで木々に囲まれながら、黙々とペダルを踏み込み、ついに「大弛峠」に到達する。

県境を跨ぐ。と同時に、路面は一転して荒れた未舗装路へ。山梨県側とは対照的に、長野県側はロードバイクを拒むかのように、ガレ場が峠道の先へ続いていく。

甲州と信州の境界線。舗装路と未舗装路。実に見事な境界線である。

私が初めて大弛峠に登ったのは、世界中に猛威を振るったコロナ禍、2020年9月のことだった。夏を前にトレーニング中に鎖骨を骨折。それが癒えた頃に、やり残した「夏休みの宿題」として、東京都町田市の自宅から自走で登頂した。

こんなに長い登坂があるのか。それも東京からそう離れていない、奥秩父山塊に。甲府盆地といえば、東京から最も近い山岳エリアといっても良いであろう。

自走込みで走行距離270 kmに迫るビッグライドとともに、この巨大な登坂は強く記憶に刻まれることとなった。

大弛峠序盤は、ぶどう果樹園の中、甲府盆地を背に標高を上げる。

これまで私は自転車で旅を続け、1000を超えるヒルクライムを重ねてきた。日本全国に、未知の峠は次第に少なくなっている。峠を越えた先の地域には、すでに訪れた場所が多い。峠越えで待ち受ける、期待も不安も、感じることが激減している。

日本最高標高の自転車峠である大弛峠。長野県側の未舗装路は、ロードバイク乗りの進入を拒んでいる。もちろん、峠を越えた先にある、長野県川上村へは何度も足を運んでいる。しかし、その峠の「道のり」を実際に下ったことも、登ったこともない。

この国で最も高い峠は、全国の未踏の峠を探し歩く私のような人間に、未踏の「余白」を残してくれている。それは、全国の峠を代表した、ささやかな贈り物なのかもしれない。

ロードバイクを寄せ付けない、大弛峠の長野県川上村側の路面。最高所の峠は私にとって、「通り抜けられない」峠である。

参考文献

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