- 長野県佐久穂町・小海町 国道299号線
- 標高:2,127 m
- 登坂距離:25 km
- 標高差:1,338 m
- 平均勾配:5.4%
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長時間ペダルを踏み、ようやくたどり着いた峠の頂。登りから下りに転じた真っ直ぐな道が、緩やかに森の中へと続き、視界は木々に遮られて開けない。ご褒美の絶景はここにはない。
麦草峠。
しかし、この素朴さこそがこの峠の魅力である。標高2,127 mという、渋峠に次ぐ国道第二の標高を誇るこの峠。路面は、冬に雪に閉ざされる地域とは思えないほどに、とても整備されており、道幅の広い2車線路が最後まで続く。ほとんど急勾配はなく、緩やかな傾斜で標高を上げる。
佐久穂から登れば25 km、標高差1,300 mに及ぶ。日本でロードバイクが到達できる2,000 m超の場所はわずか9つ。そのひとつが、無理なく、ストレスなく挑めるという事実がどれほど貴重か。峠の真価は、眺望や激坂だけではない。走りやすさと大きなスケールこそが、ここ麦草峠を特別な存在にしている。
麦草峠は、八ヶ岳連峰の茶臼山(2,384 m)と丸山(2,330 m)の鞍部に位置する峠である。険しい岩峰が連なる南八ヶ岳に対し、穏やかな山容の北八ヶ岳を横断する道として知られる。
峠の名は、この一帯に群生する「イワノガリヤス」というイネ科の多年草に由来する。麦に似た姿から「麦草」と呼ばれたのだという。単純にも思える名だが、長い年月を経て親しまれるうちに、その起源から独立して、今では重みを帯びた呼称となっている。
歴史を辿ると、この峠のすぐ北に位置する大石峠の存在を見逃せない。標高2,153 mの大石峠は江戸時代から物流の要路として栄えた記録が残る。また、麦草峠もかつては「馬越峠(まごしとうげ)」と呼ばれ、馬で越える道として利用されていた。二つの峠はわずか500 mほどしか離れておらず、いずれも人々の往来と生活を支えた道であった。
文献によっては両者を同一視し、麦草峠が利用されるようになるにつれ、大石峠の位置を茶臼山中腹へと移したのではないかと記すものもある。一方で、最初から別個の峠として扱う記録もあり、その関係には曖昧さが残る。真相はわからない。
やがて交通手段が徒歩や馬から車へと移り変わると、峠にも自動車道が開通し、呼称も「麦草峠」に統一されていった。現在では国道299号として整備され、多くの観光客やサイクリストを迎える存在となっている。
一方、私は訪れたことがないが、大石峠は今も茶臼山の中腹にひっそりと残り、往時の記憶を静かに伝えているという。
麦草峠は、茅野と佐久穂のどちらからも登ることができる。茅野の高原風景は捨てがたいが、標高差の大きなヒルクライムの醍醐味を求めるなら、佐久穂側が本命であろう。
国道141号と299号が分かれる清水町交差点をスタート地点とし、最初は八ヶ岳の高峰を遠くに望みながら標高を稼ぐ。やがて道は樹林帯に入り、ひっそりとした静けさに包まれる。
10 kmを過ぎたあたりで、八千穂高原に出ると、空が一気に開ける。浅間山を背負いながら、爽快な登坂を楽しめる区間である。さらに「レストハウスふるさと」付近では視界が広がり、浅間山から続く稜線に車坂峠や地蔵峠といった、ヒルクライムの名峠を望むことができる。ここが佐久穂側からのヒルクライムにおいて、「展望」のクライマックスだろう。
そこから先は再び森へと分け入っていく。集中してペダルを踏む時間が訪れる。大きく緩やかなコーナーが連続する九十九折。極端な急勾配はないが、緩みすぎることもない。距離と高度による疲労が滲み出して、自分の体の声を聞きながら、限界と、そして峠と向き合うヒルクライム特有の感覚に没入する。
白駒池を過ぎればフィニッシュは目前。峠らしからぬ緩斜面が樹林帯の中をまっすぐ伸び、その先に「麦草峠 標高2127 m」と書かれた大きな看板が立っている。何気ない道路標識が、長い登坂を終えた達成感を引き立ててくれる、唯一の演出である。
私にとって麦草峠が特別な意味を持つのは、埼玉県入間市から長野県茅野市まで、国道299号を走破する、「アタック299」というイベントがあってこそである。秩父の山々を越え、次第に険しさを増す峠を3つも越え、そして最後に待ち構えるのがこの麦草峠だった。
2019年8月。当時は、このイベントを主催する自転車店と「知り合い」であるチームだけに、「アタック299」の参加資格が与えられていた。私も友人のチームに混ぜてもらって出走した。この時はまだ、自転車ロードレースの選手として活動していた私にとって、200 kmのロングライドや、獲得標高3,000 mという山岳ライドは、普段のトレーニングの範疇だった。
そんな中、「完走」を目指すチームの仲間と共に走る体験は、まったく別物だった。私は平坦で、できるだけ仲間が体力を温存できるように牽引し、登坂ではトレーニングを兼ねてアタックしては、山頂から最後尾まで引き返し、メンバーを励ましながら進んだ。
最後の麦草峠では、みんなの必死なペダリングに胸を打たれた。こうして、全員が麦草峠を越えた。一人のリタイアもなかった。レース中心だった自分の自転車観が、大きく広がったその瞬間だった。
麦草峠は、派手な絶景や強烈な激坂を売りにする峠ではない。峠の頂は森に囲まれ、絶景の展望が待つわけでもない。しかし、そこにはサイクリストにとって何より大切な要素、「長く、走りやすく、そして誰もが挑戦できる峠道」がある。
標高2,000 mを超える稀有な舞台で、安心して登坂を楽しむことができる。仲間とでも、一人でも、どんなレベルでも、時間をかければきっと越えられる。
麦草峠は、静かに、しかし確かに、多くのサイクリストの情熱を受け止めている。
参考文献
- 定本 信州百峠 監修:井出孫六・市川健夫
- 信州の絶景はどのようにできたのか 監修:赤羽貞幸・塚原弘昭
- 信州の峠 著者:市川健夫
- 峠で訪ねる信州 著者:川崎史郎・小林敬一
- 峠と旅 <麦草峠>
- Wikipedia 麦草峠

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