プロフィール
- 長野県高山村 県道66号線
- 標高 1,900 m
- 登坂距離 24.2 km
- 標高差 1,456 m
- 平均勾配 6.0%
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長野市街地を抜け、千曲川の堤防道路を下流へと進む。右手に広がるのは、群馬との県境に連なる巨大な山脈。碓氷峠、車坂峠、地蔵峠、万座峠、渋峠。いずれも名だたる上信国境の峠が連なり、日本有数のヒルクライム地帯を形成している。
その稜線の中に、ひときわ印象的な頂がある。美しい三角形の山容を持つ笠岳。笠のような形から名付けられたこの山は、大きさや派手さはないが、一度見たら忘れられない特別な存在感を持つ。気がつけば、ついその姿を探している自分がいる。

この笠岳の懐へと向かう一本の登坂路がある。起点は「虫送北」信号。山田温泉を抜け、松川に沿って急勾配を刻み、現在は志賀草津高原ルートの道中にある山田峠へと至る道は、かつて信州と上州を結ぶ古道「草津道(山田道)」や、万座峠へと抜ける重要な古道として使われた。
しかし、昭和40年代には炭焼きをはじめとした、山仕事が減少。そして渋峠を通過する志賀草津高原ルートの前身となる自動車道が、山ノ内町から草津町へと開通。山田道はその役割を終えていった。
今回のヒルクライムルートは、七味温泉まで古道の経路を踏襲しているが、それより先は比較的新しい。昭和50年刊行の『信濃の峠路』(茂木住平 編著)では、七味温泉の先にある山田牧場から上は、「建設中」と記されている。この新道が完成したことで、笠岳の山頂直下を貫く標高1,900 mの峠が生まれたが、その名は今も定まっていないようである。書中では「名なし峠」と表現されている。
いま、そこには「笠岳峠の茶屋」と書かれた建物が建つ。しかし「笠岳峠」という名前が正式に存在するわけではなく、笠岳の「名もなき峠」にある「峠の茶屋」というのが正しい理解のように思える。峠を越えて山ノ内町側に下ると、志賀草津高原道路に合流し、やがて渋峠へと至る。立派な舗装路が1,900 mもの標高まで伸びながらも、峠そのものには名前がないというのが、この場所の面白いところでもある。
だが、この道のおかげで標高差1,400 mを超える壮大なヒルクライムが可能になった。前半は歴史ある旧街道をなぞり、後半は昭和後期に開かれた新道を駆け上がる。時代を越えて走るような、スケールの大きな登りだ。

2024年、私は「ヒルクライム日本百名登」プロジェクトの活動を本格化させた。フランスでの自転車ロードレースのプロになる挑戦に敗れ、帰国後に実業団で走りながら働く約8年の日々を経て退職。再び自転車に生活の全てを注ぎ込んで、向き合うための一年だった。その最初の仕事と言っても良いものが、長野県高山村で行われた「信州高山ヒルクライムチャレンジ」のゲスト参加である。
その際、主催者の方々から「笠岳のコースも百名登に入るのか」と問われた。私は即答した。
「忖度はしません」
金銭的なつながりや仕事を百名登の選定に持ち込みたくなかった。正直、そのときはこのコースの真価を知らなかったのだ。しかし、それは後に大きく覆る。
レースは登坂距離20 km、標高差1,300 mという、日本屈指のスペックを誇る厳しいコースである。交通規制の都合で県道66号線は通行止めにできず、それと並行する林道がレースコースとして使われているが、下山時には県道を利用する。そのとき体験したダイナミックな下りが、私の中で強烈に印象に残った。
「このヒルクライムは本物だ」
そう確信した瞬間だった。

翌年、私は単独で県道ルートにアタックした。麓の最後の信号から、「笠岳峠の茶屋」まで、標高差1,400 m以上を一気に駆け上がる。序盤は高山村の名産、ブドウやリンゴの果樹園の中を走り、山田温泉や七味温泉などたくさんの温泉地を経て標高を上げる。
ふと、木々の間から笠岳が姿を現す。その美しい三角形の輪郭を崩すことなく、かなり近づいていることに驚く。
終盤、連続する急勾配に苦戦しつつも、笠岳に目を奪われていると、右手に広がる東側の展望が開ける。遠くに見えるのは、志賀草津高原道路の最終区間。スノーシェルターが横手山の斜面を縫うように、国道最高地点の渋峠まで続いている。自分自身の現在地と、見える光景との標高差の少なさに、自分がすでにかなりの標高まで登ってきたことを実感する。

そして、最後の2つのスイッチバックをクリアすると、道路は笠岳を巻くようにして最高地点へ達する。標高1,900 m。峠の茶屋を過ぎると山ノ内町側へと下りに転じ、長い登りは幕を閉じる。
ずっとずっと標高の低い下界から、遠くに眺めていたあの「三角形」が、今は手の届きそうな目の前にある。

「信州高山ヒルクライムチャレンジ」には2024年、2025年と2年連続でゲスト招待してもらった。驚くのは、レース会場が笑顔で満ちていることだ。ヒルクライムはストイックで孤独な競技というイメージが強いが、この大会には地元の温かさが溢れている。地域の人々の声援、手づくりの料理、疲労を癒すの温泉。選手も応援も皆が、「大会を楽しんでいる」のが伝わってくる。私にとって、高山村は少し特別な村になった。それを承知で、改めて言おう。
「忖度はしません」
この言葉に二言はない。忖度なしに、このコースは素晴らしい。

参考資料
- 信濃の峠路 茂木住平 編著
- 信州の峠 市川 健夫 著
- 定本 信州百峠 監修:井出孫六・市川健夫
- 草津への道~山田道盛衰


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