月山八合目(がっさんはちごうめ)

日本百名登への道

プロフィール


梅雨が明ける。太陽がこれ以上ないほどの輝きを放ち、体温を超えるような熱波に、日本列島全体が包み込まれていく。

夏。

私の大好きな季節であり、なかでも山形の夏がとりわけ好きだ。茹だるような暑さの盆地や平野には、水田がまるで緑の絨毯のように広がり、標高差1000 mを優に超える山々が取り囲む。白くもくもくと湧き立つ入道雲は、日本人が「夏」を感じる風景の一つではないだろうか。

「雲の峰 いくつ崩れて 月の山」

松尾芭蕉が『奥の細道』の旅の途中で詠んだこの一句は、真夏の庄内平野から月山を眺めた情景を切り取ったものだ。

夏の雲が、どっしりとおおらかな山容を持つ月山にぶつかっては崩れていく。その悠然とした姿は、年齢を重ねた今でも、どこか小さい頃の「夏休み」の記憶を呼び起こす。

庄内平野から月山を望む。突出したピークのないおおらかな姿が印象的。

山形県の西部に位置する月山(標高1,984 m)は、鳥海山、朝日岳、飯豊山、蔵王山、吾妻山といった名峰を擁する山形県において、唯一、他との県境を共有しない、山形県のみに属する日本百名山である。

名の由来は、月読命(つくよみのみこと)を祀ったことにあるとされる。そのどっしりとした穏やかな姿は、まるで月が上半分だけ顔を出したようにも見え、「月山」という名にふさわしいように思える。

月山は、羽黒山・湯殿山とともに、修験道の聖地「出羽三山」を構成する主峰、つまり三山の中で最も標高の高い山である。

この三山は古来より「死・現世・再生」を象徴する山々として信仰を集めてきた。羽黒山が現世=「生きている今」、月山が死後=「過去」、湯殿山が生まれ変わり=「未来」を司るとされ、この三山を巡る旅は「生まれ変わりの旅」とされてきた。

登山道が整備されていなかった時代に、これら三山を巡ることは命がけの修行であり、厳しい道のりの果てに、生きながらにして新たな命を得る。そう信じられてきたのである。


私はこれまでに二度、月山八合目まで自転車で登った。二度目の登坂は、2025年7月30日。前日に40歳を迎えたばかりの私は、40代最初のヒルクライムとして月山を選んだ。

月山の麓にそびえる羽黒山大鳥居。高さ20 m、幅15 mという東北最大級の規模を誇り、朱塗りの美しい曲線が、夏の青空にくっきりと映える。ここから延びる坂は「神路(かみじ)坂」と呼ばれ、神域への入り口とされている。

羽黒山大鳥居。信仰の山である月山に迫るヒルクライムの開始地点に、ここまで相応しいスタートゲートはないであろう。

大鳥居をくぐり、月山を目指して走り出した私は、途中であることに気づいた。大鳥居からここまで、信号が一つも存在しないのだ。

このまま駆け上がってしまうのは惜しい気がして、私は一度引き返し、大鳥居まで戻った。そして、ここを起点に心を新ためてスタートを切った。

全長約25 kmにおよぶ、大鳥居から月山八合目までのロングクライム。舗装路の終点となる八合目を目指し、信仰の山へと静かに踏み込んでいく。

序盤の県道47号線は、集落や畑の中を比較的穏やかな勾配で登っていく。途中、右に折れて「県道211号月山公園線」、通称「月山高原ライン」に入ると、民家は姿を消し、ルートは美しい森の中へと分け入って行く。

月山公園線に入ると道幅は多少狭まるものの、東北地方にしては綺麗な路面。樹林帯の中を進む。

一度大きな下りを挟んだ後、後半14 kmは本格的な登坂区間。九十九折のカーブが連続し、標高が上がるにつれて木々は背を低くし、やがて視界が開けてくる。眼下に庄内平野を見渡せる区間が増え、進む先には月山の堂々たる姿が、徐々に迫ってくる。

標高を上げるにつれて、月山が姿を見せる時間が増えてくる。

長いクライミングの末にたどり着いた「月山八合目」。平野から見上げていた山頂はすぐ手の届くところまで迫り、隣の姥ヶ岳(うばがたけ)の斜面には、真夏であるにもかかわらず雪が残る。

庄内平野を一望する絶景。下界を眺めながら、標高差1300 mに及ぶ標高差を登ってきたことを実感し、平野を挟んで対峙する鳥海山の存在感に、思わず息をのむ。


燦々と照りつける太陽。夏雲の沸き立つ青空。

生まれ変りの修行の地「出羽三山」。その全てを踏破したわけではない。月山のみ、しかも八合目までのヒルクライムではあるが、40代という節目に、何か変わるきっかけとなる一本になったのであろうか。

「夏休み感」が溢れ出た庄内平野を眺める。生まれ変わることはないにしても、重ねてきた40という年齢を忘れて、童心に還っていることに、私は気がついた。

遠くに庄内平野を見渡す。深い森の中で、月山公園線の路面がところどころに顔を覗かせる。

参考文献

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