プロフィール
- 岩手県八幡平市・秋田県仙北市・鹿角市 県道23号線(八幡平アスピーテライン)
- 標高:1,541 m
- 登坂距離:19.2 km
- 標高差:1,081 m
- 平均勾配:5.6%
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「県境」というものは、地球が生んだ大自然に、人間が都合よく境界線を引いたものであって、本来なんの意味も持たない。
ただ、多くの場合その線は、山の稜線や河川に沿って引かれている。その向こうには「未知の世界」が広がっているように思えて、少なからず意識してしまう。未踏の地を自らの脚でペダルを踏んで進んでいくというのは、サイクリングの楽しみの原点である。
そして、日本の自転車乗りにとっては、「全都道府県を自転車で走ってみたい」と思うのは、ロマンを感じる目標の一つではないだろうか。
2021年7月。
私にとって、それが達成された峠が、八幡平アスピーテラインのピークにあたる「見返峠」であった。
岩手と秋田の県境に広がる八幡平。「広がる」というのは、八幡平は「山」というよりも、標高の高い「台地」といった風貌をしていて、そびえているというよりは、広がっているという表現が正しいように思える。
標高1,613mの八幡平を主峰として、同じような高さの丘陵がいくつも連なる。標高の高いところに丘陵地帯があるという感じで、爆裂火口の跡が湖沼を形成している。
八幡平の名の由来はいくつかの説があるが、高橋千劔破さんの見解が良いように思える。
「やわた(柔らかい田)」という湿原を意味する言葉に、「八幡」という漢字に当てられた。「やわた(湿原)」のある「平(台地)」が八幡平である。
「平」も湿地を表す古語「田井」を指していて、やはり湿原を意味するという説もあるが、「やわた」と「たい」が、同じ意味の繰り返しとなることから、考えにくいと言う。
これとは全く異なる視点の話もある。坂上田村麻呂の蝦夷討伐や、平安時代の前九年の役、後三年の役の舞台になったと伝わる八幡平。ここで活躍した源義家が、京都の石清水八幡宮で元服したことから「八幡太郎」を名乗った。後付けの感は否めないが、八幡平の名前はここからきているというエピソードである。
標高1,541mの見返り峠付近をピークに、この高地を東西に突っ切るのが、「八幡平アスピーテライン」。1970年に開通したこの山岳道路は、主峰の八幡平とわずか100mも違わない高さを通過する。八幡平がいかになだらかな山容であるかがわかる。
「アスピーテ」とは火山の種類のことで、日本語では、楯状火山である。粘性の低い溶岩が遠くまで流れ広がってできるため、盾を伏せたような姿の山が生まれる。まさに八幡平の景観を形作っている火山の特性を、ドライブウェイの名称に当てるという、粋な演出である。
ところが近年の研究で、八幡平は富士山などと同じ成層火山であることがわかってきた。なだらかな山容は、火山活動そのものではなく、長い年月の侵食によるものだという。かつての学説をそのまま道路名に残している、珍しい例である。
2025年8月9日。初登攀から4年。再び私は八幡平アスピーテラインに挑んだ。今回は岩手県側からのヒルクライム。麓には、安比高原といった観光地があり、補給場所も豊富なので、ヒルクライムの拠点として使いやすい。
対照的に、秋田県側はアスピーテラインの入り口まで、樹林帯の中を黙々と進む。東北の深い山の雰囲気を味わえる。
岩手側で、最も厳しいのは序盤であろう。勾配の厳しい区間が続く。雪崩や吹雪から車道を守るスノーシェルターが何度も現れる。夏の青空の下でも、その存在がこの地の冬の厳しさを物語る。
およそ中間地点。今なお活発な火山活動の続く八幡平。それを象徴するように、地熱発電所が姿を見せる。徐々に木々は背を低くし、高度のわりに高山の雰囲気が漂う、東北の標高1,000mを超える山の風情が顔を出す。
後半は斜度もゆるみ、短い下りや平坦区間が挟まる。左手後方に岩手県のシンボル「岩手山」を背負い、前方にはフィニッシュとなる見返峠のビジターセンターを視界に捉える。荒涼とした景色が広がり、ところどころ蒸気が上がる。
見返峠周辺には、標高1,500mとは思えない広大な空間が待っている。そこに高山植物が彩を添える。
秋田方面の眺望は、八幡平の「天空の丘陵」が遠く彼方まで続き、やがて奥羽山脈の峰々と同化していく。岩手方面に目をやると、今登ってきたアスピーテラインが一本の筋となって山肌を下り、消えていく。遠くには麓の街並みが見え、堂々と岩手山がそびえている。
8月とは思えない、涼しい風が肌を撫でる。目の前に広がる、八幡平の雄大な景色を眺める。初めてこの峠にたどり着いた日のことが鮮明に蘇る。
全都道府県を自転車で制覇した思い出の峠が、ここ「見返峠」でよかった。心からそう思う。
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