栂池自然園(つがいけしぜんえん)

日本百名登への道

プロフィール


自信と期待、そして飲み込まれそうなほどに大きな不安。なんとも形容しがたい感情を胸に、私はスタートラインに立った。気づけば集団の前に出て、夢に向かって必死にペダルを踏んでいた。

2009年6月。

就職活動を途中で放り出した、大学院二年生の初夏。

「自転車選手になりたい」

自転車競技に出会って1年も経たずに、その魅力にのめり込んだ。初めて日本のトッププロと肩を並べて走る舞台となったのが、栂池ヒルクライムだった。

ヒルクライム序盤。ペンション街の中をスキー場に向けて進む。

当時の大会は、国内最高峰の実業団リーグに組み込まれ、実業団に登録さえしていれば、カテゴリーを問わず参戦できる、言ってみれば「下剋上」が可能なレースだった。マスドスタートの予選と、予選のタイム上位100名が争うタイムトライアルの決勝。2本の合計タイムで勝敗が決まる、少し変わった形式のレースだった。

経験の浅い私は、駆け引きせずに予選から積極的に前を引いた。真っ向から自身の力を試したいという思いもあった。3組に分かれて行われた予選結果は、全体で5位。

決勝の個人タイムトライアルでは、全日本チャンピオンの野寺選手を追いかける形でスタート。前半に彼を追い抜き、逆に追いかけられるという緊張感のある展開で、集中力は最高潮に達した。決勝のタイムは4位。2本合計の総合成績は5位。初舞台としては悪くない結果であり、なにより「自分はやれる」と確信できた瞬間だった。

スキーゲレンデの中を道が伸びる。景色が開けると目の前には北アルプスの山並みが迫る。

この日、もうひとつ忘れられない出来事があった。

スキー場でもある栂池ヒルクライムでは、1本目のクライミングを終え、スキー場のゴンドラに自転車ごと乗り込んで下山する。このレースならではの特別な演出である。そこで一人のフォトグラファーが、私に相席を申し出た。

高木秀彰。

プロの大舞台から学生大会、地方の草レースに至るまで、国内のあらゆる自転車レースを撮り続けてきた、日本を代表するフォトジャーナリストである。公正な視点と情熱をもって、選手たちの姿を世に伝え続けた人物だ。

「いい走りだったね」

そう声をかけられ、ゴンドラの中で即席のインタビューが始まった。選手として初めて受ける取材に、私は胸を高鳴らせながら答えた。自分もひょっとすると通用するかもしれない。そう思わせてくれたこの対話は、レースの結果と同じくらい大きな意味を持っていた。

その後も高木さんは折に触れて私を気にかけてくれた。しかし、フランスに拠点を移した私は思うように成績を残せず、期待に応えられぬまま時間だけが過ぎていった。

再びインタビューを受けたのは2016年。帰国して2年目、伊吹山ヒルクライムで実業団リーグJapan Pro Tour初の表彰台を獲得したときだった。栂池のときと同じく、攻めの走りを評価してくれた高木さんは、多くの言葉をかけてくれた。

その瞬間こそ、私にとって最後の恩返しだった。そう、「最後の」である。

高木さんは2018年、急逝した。自転車界に大きな足跡を残したその名は、ご家族の希望により「高木秀彰賞」として受け継がれ、いまもインカレや実業団レースで、夢を追う若手選手に賞金とともに贈られる特別賞に刻まれている。

樹林帯の中、黙々とペダルを踏む。木々の切れ間に、ゴンドラが現れては消える。

長野県北西部の小谷村に位置する栂池ヒルクライムのコース。序盤は集落を縫うように急坂を登り、やがてペンション街を抜けると正面に北アルプスが現れる。ここからスキー場エリアへ入り、一般車両通行止めのゲートを越えると、ひたすらに標高を上げていくこととなる。

勾配は容赦なく、緩む区間はほとんどない。樹林帯に入れば静寂の中で息遣いが響き、スキー場のゲレンデに飛び出せば、雄大な北アルプスが顔を覗かせる。繰り返し頭上を横切るゴンドラとともに、ペダルを踏み続ける。

フィニッシュはゴンドラ終着駅。ヒルクライムの苦しみから解放された多くの選手たちが、木々に囲まれ眺望のないこの空間で、腰を下ろしてレースを振り返ってきた姿が見えるようである。

フィニッシュ地点の先に進むと、栂池自然園に代表される、標高1,900mに広がる日本有数の高層湿原がある。観光拠点となるビジターセンターや、食事ができる山小屋もあり、ヒルクライムの余韻にゆっくり浸ることができる。

フィニッシュ地点から少し奥に進むと、観光拠点となるビジターセンターがある。北アルプスを間の前に食事をすることもできる。

2025年9月。私は久しぶりに栂池のスタート地点に立った。前回ここを走ったのは2015年。フランスから帰国した直後に挑んだレースだった。それから10年。

ペダルを踏み込むごとに、若き日の昂揚感や、夢を抱えていた自分自身の姿が甦る。頭上を横切るゴンドラを見上げる度に、高木さんの穏やかな声が脳裏に響く。

2009年、夢を描いていた自分自身を試した舞台。2015年、プロになる夢が叶わずフランスから帰国し、今にも吹き消えそうな自分の足跡を証明しようと挑んだ舞台。

夢と希望、諦めと現実。

2025年。その記憶は全て完全に美化されて、登坂中このコースは私に信じられないほどたくさんの言葉をかけてくれた。

長きにわたって激戦の舞台となった「栂池ヒルクライム」のコースは、看板が多く設置されて、レガシーとして今に引き継がれている。

参考資料

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