プロフィール
- 奈良県川上村・上北山村 県道40号線
- 標高:1,580 m
- 登坂距離:19.6 km
- 標高差:868 m
- 平均勾配:4.4%
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紀伊半島の深い山々のど真ん中、大台ヶ原の稜線へたどり着く。
目の前には、大きな谷を隔てて幾重にも連なる山並み。その中でもひときわ高い峰々を結ぶ一本の尾根道が長く伸びている。
大峯奥駈道。
役行者の開山以来、およそ1400年にわたり修験者が歩み続けてきた山岳信仰の道である。
その尾根を眺めていると、不思議なことに気づく。
いま私が立つ大台ヶ原は、かつてあの尾根を歩く修験者たちから畏怖の眼差しを向けられていた山だった。
そして現代では、その視線は静かに逆転している。
吉野・大峯の山々は、日本の山岳信仰を代表する舞台である。
役行者によって開かれたと伝えられる修験道は、平安時代に最盛期を迎え、吉野を拠点に大峯奥駈道を修行の場として発展した。厳しい峰々を歩き続ける修行は、明治初期の神仏分離・修験道廃止令という大きな試練を乗り越え受け継がれ、現在では「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産にも登録されている。
対する大台ヶ原は、まったく異なる歴史を歩んだ。
年間降水量は日本平均の約3倍、4,000〜5,000 mmにも達する。屋久島と並ぶ日本有数の多雨地帯であり、豊かな苔や原生林を育む「水の山」である。その一方で、深い霧と激しい風雨は人を容易に寄せ付けず、長いあいだ魔境として語られてきた。
江戸時代には、薬草採取などを目的とした入山記録は残るものの、大峯のように信仰の山として「開かれる」ことはなかった。

転機は明治時代である。
1874年、大峯の行者・実利(じつかが)が入山修行を行い、1885年には探検家・松浦 武四郎が踏査。そして1891年には古川 嵩(ふるかわ かさむ)が入山し、大台ヶ原に修験の場を築き始める。
1300年以上の歴史を持つ吉野・大峯に比べれば、大台ヶ原は驚くほど「新しい山」である。
しかし、その後の歩みは急速だった。
1898年には土倉 庄三郎らの尽力によって登山道が整備され、雨量観測も始まる。1936年には吉野熊野国立公園に指定。そして1961年、大台ヶ原ドライブウェイが開通した。
かつて何日も歩かなければ辿り着けなかった天空の台地は、自動車道路によって一気に身近な存在へと変わった。1981年には一般県道へ移管され無料開放され、今日では自動車だけでなく、多くのサイクリストが西日本屈指の標高へ挑戦する舞台となった。

大台ヶ原を語るなら、「ヒルクライム大台ヶ原」の存在にも触れないわけにはいかない。
2001年、人口わずか数百人の上北山村で始まったこの大会は、村の若者たちの情熱から生まれた。村民総出の温かい運営と、全国屈指ともいえる厳しいコース設定によって、関西を代表するヒルクライムレースへと成長してきた。
コースも個性的だ。
序盤は平坦基調のワインディングが続き、中盤には約7.5km・平均勾配約9%の急坂が待ち受ける。そして激坂を乗り越えた先には、大峯奥駈道を望む稜線の快走路。レースとして見れば、この変化に富んだプロフィールは大きな魅力であり、数々の名勝負を生んできた。
しかし、大台ヶ原という山岳道路そのものを味わうなら、もう一つの選択肢を紹介したい。大台ヶ原ドライブウェイ全線を走破するヒルクライムである。

スタートは国道169号、新伯母峯トンネル北側にある県道40号線との分岐。ここから終点の大台ヶ原駐車場まで、文字どおりドライブウェイを一本まるごと登り切る。
序盤はいきなり急勾配が続く。年間数千ミリもの雨が育てた深い森に包まれ、空さえ見えない区間を淡々と標高を稼ぐ。
やがて短い大台口隧道を抜ける。この周辺には、旧伯母峯隧道、大台口隧道、そして現在の新伯母峯トンネルが近接し、時代ごとの峠越えの歴史が折り重なるように残されている。

トンネルを抜けると、勾配は少しずつ穏やかになる。しばらく走れば、右から登ってくるレースコースと合流し、景色は一変する。
右手には深い谷。その向こうには大峯山脈が果てしなく続いている。この眺めこそ、大台ヶ原ドライブウェイ最大の魅力である。日本最大級の山岳地帯・紀伊半島。その山並みを横目に、アップダウンを繰り返しながら稜線を進む時間は、ただ標高を稼ぐだけのヒルクライムとは異なり、山岳道路を行く歓びに満ちている。
やがて巨大な「大台ヶ原」の石碑が現れ、その先には広大な駐車場とビジターセンター。四国を除く西日本最高標高地点へ至るヒルクライムは、ここで静かに幕を閉じる。
私が初めてこの山を訪れたのは2024年6月。ヒルクライムレースのコースを走った。
その過酷さが強く印象に残った一方で、ドライブウェイ全線を通して下ることで、この道路そのものの美しさにも惹かれた。百名登で紹介するなら、レースコースではなく、この一本の山岳道路を最初から最後まで味わうべきではないか。
そう思い続け、ようやく実現したのが2026年6月だった。
レースコースより標高差はやや小さい。それでも十分すぎるボリュームがあり、森、峠、稜線、そして大展望へと景色が連続して変化する構成は、この山の魅力を余すことなく味あわせてくれた。
ヒルクライムに没頭した。あっという間に山頂であった。

下山中、もう一度、大峯奥駈道へと目を向ける。
かつて修験者たちは、あの険しい尾根を歩きながら、この大台ヶ原をどのような思いで見つめていたのだろうか。
年間4,000〜5,000 mmもの雨が降り注ぎ、濃い霧が深い森を包み込み、一本たたらをはじめとする魔物が棲むと語り継がれた山。雲海の彼方に浮かぶその姿は、畏怖の対象であり、容易に足を踏み入れることのできない魔境だったに違いない。
そして現代。
私は近代の開拓者たちが切り拓き、昭和に完成した大台ヶ原ドライブウェイを、自らの脚でペダルを踏み続け、天空の稜線へと辿り着いた。
いま私が見つめているのは、1400年前から変わることなく修験者が歩み続ける大峯の尾根。今なお自転車では決して辿り着くことのできない、秘境であり、聖域である。
かつて秘境だった大台ヶ原は、いまや秘境を望むための特等席となった。
二つの山と、それを隔てる谷は太古から変わらない。しかし、人の視点は千年の時を経て静かに入れ替わったのである。

参考文献
- 環境省
- 環境省 大台ヶ原の年表
- ryokutyaの山行備忘録
- 日本百名山 著:深田久弥

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