プロフィール
- 山梨県笛吹市 国道137号線 県道708号線
- 標高:1,296 m
- 登坂距離:14.9 km
- 標高差:825 m
- 平均勾配:5.5%
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時代が流れるとともに、人々が道に求めるものは変わっていく。徒歩や牛馬の時代から、やがて自動車が普及し、トンネルが掘られ、高速道路が山々を貫くようになった。新しい道ができれば、古い道は役目を終える。
それは峠も同じである。
かつて交通の要衝として栄えた峠の多くは、新しいトンネルやバイパスの開通によって静かに忘れ去られていく。しかし、その中には時代の変化に適応し、新たな価値を手に入れた峠も存在する。
御坂峠。
交通の峠から観光の峠へ。今なお多くの人を惹きつけ続けるその姿には、「再生」という言葉がよく似合う。
御坂峠は、甲府盆地と富士北麓を隔てる御坂山地に位置する峠である。古くから「御坂みち」として利用され、甲斐国と駿河国を結ぶ交通路のひとつとして機能してきた。
この峠が最も輝いたのは自動車時代の幕開けだったと言えるだろう。昭和6年(1931年)、旧御坂隧道が開通する。全長394 m。当時としては画期的な山岳トンネルだった。
現在では想像しにくいが、この頃の甲州街道最大の難所である笹子峠は、まだ自動車交通に十分対応できる道路ではなかった。狭く険しい峠道。雨が降ればぬかるみ、落石も多い。
一方で御坂みちは、最新技術によって整備された旧御坂隧道によって大きく近代化された。その結果、わずかな期間ではあるが、御坂峠は甲府と東京を結ぶ実質的な最短ルートとして機能したのである。
しかし栄光は長く続かなかった。昭和13年には旧笹子隧道が開通し、さらに昭和33年には新笹子トンネルが完成する。甲州街道は再び東京と甲府を結ぶ主役の座を取り戻した。
そして昭和42年。御坂峠にも現在の新御坂トンネルが開通する。交通のために造られた旧御坂隧道は、その使命を終えた。

ここで、御坂峠と笹子峠の運命は分かれる。どちらも交通の主役から降りた峠だった。しかしその後の姿は対照的である。
笹子峠を訪れると、そこには深い森と静寂が広がっている。甲州街道最大の難所だった歴史を今に伝えながら、ひっそりと時を刻んでいる。それはそれで魅力的だ。まるで過去の時代が保存された博物館のようである。
一方の御坂峠は違った。富士山という絶対的な主役。そして文学という新たな物語。それらを手に入れた御坂峠は、交通の峠から観光の峠へと鮮やかな転身を遂げたのである。

2026年5月16日。富士吉田。
カーテンの隙間から差し込む光で目が覚める。晴天であろう。外に出てみると、これ以上ない青空の中に、富士山が視界いっぱいに飛び込んでくる。その迫力と美しさに圧倒されて、視線を逸らすことができない。
「御坂峠に行こう」
一度甲府盆地へ下り、笛吹側から登り返す。この峠の物語を味わうなら、このルートしかない。
若宮交差点をスタートする。新旧国道137号が交わる場所である。前半は広いバイパス道路を進む。勾配を感じさせないほど見通しの良い直線。大型トラックや観光バスが次々と横を通り過ぎていく。この道が今もなお山梨県の重要な交通路であることを実感する。
だが、新御坂トンネルの手前で旧道へ入った瞬間、世界は一変する。車の音が消える。聞こえるのは自らの呼吸とチェーンの駆動音だけ。
木漏れ日の差し込む森の中を、美しい九十九折が続いていく。先ほどまで走っていた幹線道路が遠い昔の出来事だったように感じられる。

このコントラストこそ御坂峠の魅力だろう。現代の道路と、昭和の峠道。一本のヒルクライムの中に二つの時代が共存している。
距離表示の看板が少しずつ数字を減らしていく。やがて残り距離がゼロになる。その先に、旧御坂隧道が顔を出す。昭和6年からここにあり続けるトンネル。登録有形文化財にも指定されている。ずっと前からそこにいたことを、私に語りかけるようにぽっかりと口を開けている。その中に素直に飲み込まれて行く。
暗闇に包まれる。小さな灯りが一定間隔で吊り下げられている。出口はまだ遠い。見えるのは小さな光の点だけだ。

だが私は知っている。その先に何が待っているのかを。だから自然と胸が高鳴る。光が近づく。そして隧道を抜ける。次の瞬間、視界が一気に開ける。
河口湖。青空。そして富士山。
巨大な舞台の幕が上がったようだった。
長い登坂。深い森。そして暗いトンネル。
そのすべてを経て、突然現れる富士山。人工物であるトンネルが、むしろ風景の価値を何倍にも高めている。隧道は単なる交通施設ではない。空間を飛び越える装置なのだ。森の中から、わずか数百メートルで富士山の世界へとワープする。これほど劇的な景色の転換は、日本中の峠を見渡してもそう多くない。
ふと振り返る。そこには天下茶屋がある。
昭和13年、太宰治が滞在し、『富嶽百景』を執筆した場所だ。当初の太宰は富士山を「銭湯の絵のようだ」と斜に構えて見ていたという。だが、この場所で日々富士山と向き合ううちに、その心境は変わっていった。そして生まれた一節がある。
「富士には、月見草がよく似合ふ」
東京での生活に疲れ、心身ともに追い詰められていた太宰は、この峠で少しずつ再生していった。
私は茶屋の前から富士山を眺める。きっと太宰が見た景色と大きくは変わっていないだろう。
そして思う。
甲府盆地から息を切らして登ってきたサイクリストもまた、この景色によって救われるのではないかと。苦しみながら登った疲労。脚の痛み。呼吸の苦しさ。それらが富士山を見た瞬間にどうでもよくなってしまう。
不思議な力が、この場所にはある。

かつて甲府と東京を結ぶ交通路として、笹子峠と主役の座を争った御坂峠。新しいトンネルの開通によって、その役割は終わった。多くの旧道と同じように、歴史の中へ埋もれていく運命だったのかもしれない。
しかし御坂峠は違った。
富士山の存在。太宰治が残した文学。昭和の隧道。それらが結びつき、新たな価値を生み出した。
太宰を再起させ、疲れ果てたサイクリストを甦らせる富士山の絶景。そして御坂峠そのものが、交通の峠から観光の峠へと鮮やかな転身を遂げた「再生」の象徴なのである。

参考文献
- 日本百名峠 井出孫六 編
- 山と渓谷オンライン
- 山梨県公式ホームページ ふれあい23

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