プロフィール
- 山梨県甲州市 国道411号線
- 標高:1,472 m
- 登坂距離:15.5 km
- 標高差:1,011 m
- 平均勾配:6.5%
- Stravaセグメント
- 私のStravaアクティビティ
- YouTube
まるで空を飛んでいるようだ。
と思えば、次の瞬間には地中へ潜り込む。
谷をまたぐ巨大な橋の上で、足元の高度感に息を呑む。かと思えば、連続するトンネルへ吸い込まれる。視界を埋め尽くしていた森が消え、暗闇に包まれたかと思えば、再び山岳風景の中へ放り出される。
目指すは、柳沢峠である。
柳沢峠は、山梨県甲州市と東京都奥多摩町を結ぶ標高1,472 mの峠であり、青梅街道最高地点にあたる。ここには、江戸時代から続く街道の歴史と、時代ごとに姿を変えてきた「道」の物語が刻まれている。
現在、東京と甲府を結ぶ主要ルートといえば甲州街道であり、その流れを中央本線や中央自動車道が受け継いでいる。一方で、古くからその裏街道として利用されてきたのが青梅街道である。
現在の青梅街道、国道411号には「大菩薩ライン」という愛称が付けられている。塩山側から登ると、ヒルクライム前半では日本百名山・大菩薩嶺を正面に望みながら進むことができる。そして何より、この名前は青梅街道最大の難所であった大菩薩峠の存在を今に伝えている。

青梅から奥多摩の深い山々へ分け入り、多摩川源流域を遡って甲州へ抜けるこの街道の最大の難所が、大菩薩峠であった。
標高1,897 m。現在は登山道として知られるこの峠も、かつては甲州と武蔵を結ぶ重要な交通路だった。甲州街道より距離が短く、主要な関所を避けられることから多くの旅人に利用された一方で、険しい山岳路ゆえに遭難者も少なくなかったという。
そんな青梅街道が大きな転機を迎えたのは明治11年(1878年)のことだった。山梨県令・藤村紫朗(ふじむら しろう)の主導によって道路改良が進められることになったが、大菩薩峠に馬車や荷車が通行できる車道を整備するのはあまりにも困難だった。
そこで新たに開削されたのが柳沢峠である。
近世の徒歩交通を支えた大菩薩峠に代わり、近代の車道交通を担う新たなルートとして青梅街道は付け替えられた。現在、私たちが越える柳沢峠は、自然に選ばれた峠ではない。時代の変化とともに求められた交通の形が生み出した、「近代が選んだ峠」なのである。

塩山側から柳沢峠へのヒルクライムは巨大である。塩山の市街地を抜けると、まず甲府盆地特有の果樹園風景が広がる。南アルプスの峰々を背にした直登区間は、視界的に勾配を感じにくいが、実際には着実に標高を稼ぐ。

やがて上日川峠への分岐が現れる。多くの登山者が大菩薩嶺へ向かう玄関口だ。上日川峠へは折れずに直進する。民家はいつしか消え、道は九十九折となり、深い山中へと入り込んでいく。
私たちが思い描く典型的な峠道が始まったかのように思える。だが、柳沢峠が真の姿を見せるのは、ここからである。

いくつものトンネルが、少しの異様性を演出し始めたあと、突然、巨大なループ橋が現れる。しかも一つではない。二つの巨大なループ橋が連続して山肌に張り付き、壮大な円弧を描いている。
谷底から見上げれば大都市の高架道路のようである。実際にその上を走ると不思議な感覚に襲われる。自転車で峠を登っているはずなのに、まるで空を飛んでいるようなのだ。
足元遥か下には深い谷。遠くには山並み。そして視界いっぱいに広がる巨大構造物。次の瞬間には長いトンネルへ吸い込まれる。
橋の上では空へ。トンネルでは地中へ。それが繰り返される。

その脇には旧道の痕跡が残されている。橋が架かる以前の急カーブ。トンネルが掘られる前の過去の道。ひっそりと残るその姿は、かつての青梅街道がどれほど険しかったかを物語っている。
柳沢峠は今なお進化を続けている。かつて大菩薩峠から柳沢峠へルートを変えた街道は、今度は柳沢峠そのものの姿を変えながら現代の交通に適応しているのである。
「柳沢第一トンネル」が現れると、ゴールは近い。経験上、峠の名を冠するトンネルや橋は頂上直下にある。その通りに、長い登坂の果てに勾配が緩み、大きな山塊の鞍部に辿り着く。
柳沢峠から望む富士山は見事である。この峠が古くから展望地として親しまれてきた理由がよく分かる。そして、峠に佇む柳沢峠茶屋は、巨大な橋やトンネルに囲まれた道中とは対照的に、どこか昔ながらの峠の風情を残している。旅人を迎える茶屋と富士山。ここだけは時代がゆっくり流れているように思える。

私が初めて柳沢峠を越えたのは2015年だった。
甲府盆地で行われた、甘利山ヒルクライムレースにゲスト参加した帰路、自走で東京へ戻ろうと考えた。しかも青梅街道で。灼熱の甲府盆地を横断し、柳沢峠へ。奥多摩を抜ける長い帰路。東京都へ入った頃には日が暮れ、急遽ライトを買ったことを今でも覚えている。
二度目はコロナ禍だった。
甲州街道で山梨へ入り、帰路は青梅街道を走り、柳沢峠を越えた。東京近郊とは思えないほど深い山々。自宅から200 kmを優に超える自走の旅で、この峠の秘境めいた印象は、より強くなった。
そして三度目は2026年。
過去に見た景色と比べて驚いたのは、ループ橋とトンネルによる道路改良がさらに進んでいたことだった。かつて山を縫うように続いていた峠道は、巨大な構造物によってより効率的に高度を稼ぐ道へ変貌を遂げた。
自分の脚で登っているはずなのに、どこか未来の乗り物によって運ばれているような感覚を覚えた。自らの脚でペダルを踏む昔ながらの峠越えと、視界に飛び込んでくる最新の道路技術。柳沢峠には、その両方が同居していた。

大菩薩峠から柳沢峠へ。そして旧道からループ橋とトンネルへ。
かつて遭難者を出した山岳路は、自動車が安全に行き交う道路へと、青梅街道は時代ごとの交通手段に合わせて姿を変えてきた。
街道とは、峠とは、まるで生きているようである。人が行き交う限り、その姿を変え続ける。柳沢峠は、そんな「道」の進化を体現している、日本でも稀有なヒルクライムなのである。

参考文献
- 日本百名山 深田久弥
- Wikipedia 柳沢峠
- 山梨県 観光 © mytabi 柳沢峠

コメント