プロフィール
- 栃木県鹿沼市 県道58号
- 標高:1,167 m
- 登坂距離:10.6 km
- 標高差:792 m
- 平均勾配:7.5%
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私は特急電車に乗るかのように、緩斜面をハイスピードで進んでいる。
目の前には増田成幸。競技人生を通じて、ついに超えることのできなかった大きな背中がある。
自転車選手としての基本を教えてくれた人。私にとって師であり、大きな目標でもあった増田さん。その背中に導かれ、私は古峰ヶ原峠を目指している。
古峰ヶ原は、古くから修験の霊場として崇められてきた山だ。奈良時代、日光開山の祖とされる勝道上人が男体山を目指す前、この山深くで修行を重ねたと伝わる。
江戸時代に入ると、火防の神として信仰を集めた古峯神社(ふるみねじんじゃ)への参詣が盛んになった。関東各地から集落の代表者が火難除けのお札を授かりに訪れる「古峯講(ふるみねこう)」が広がった。「先達(せんだつ)」と呼ばれる案内人に導かれて、参詣者たちは霊場へと向かった。
時代は移り、修験者や参詣者が歩いた道は、やがて自転車で駆け上がれる舗装路へと姿を変えた。しかし、山深い霊場へ向かう道という本質は、今も変わらない。

栃木県道14号の「上日向」交差点。古峰ヶ原への道は、大芦川の清流に沿って始まる。序盤は勾配が緩やかで、里山の集落を抜けていく穏やかな道だ。
やがて進路は県道58号へと切り替わり、起点から約18 kmで姿を現すのは巨大な「一の鳥居」である。ここを境に勾配は本格化し、ヒルクライムの表情が一変する。
鳥居をくぐると、最初のカーブ番号の看板が目に入る。1番から始まる数字は、登るにつれてひとつずつ増えていく。目指すのは40番。数字を数えながら進めば、ゴールまでの道のりが目に見える形で積み重なっていく。
古峯神社を通過すると、道はさらに厳しさを増す。深い木立の中、急なカーブが次々と現れる。曲がるたびに数字が増える。39番を迎えても、なおも緩むことのない急勾配を乗り越えて、登坂は終わりを迎える。
そこにあるのは、40番を示す看板だけ。道はその先も、深い森の奥へと真っ直ぐ続いている。

時計の針を、学生時代へと巻き戻す。
仙台で自転車競技を始めた私は、すぐにその魅力に取りつかれ、プロを目指すようになった。一流選手の走りを間近で見ることが、成長への近道。仙台出身で、ヨーロッパでも活躍していた増田さんは、私にとってこれ以上ない理想のお手本だった。
競技経験も実績も乏しかった私を、増田さんは受け入れてくれた。毎日のように一緒に練習し、山岳を得意とする脚質が似ていたこともあって、多くの時間を共に過ごした。トレーニングだけではない。生活習慣や食事、レースに向けた調整方法まで、選手として必要なことを数え切れないほど教わった。

それから約15年。2024年7月、旅の途中に栃木を訪れた私に、宇都宮を拠点に現役を続けていた増田さんから連絡が届いた。一緒に古峰ヶ原に登ることになった。
それが私の初めての古峰ヶ原だった。
全日本選手権を終え、回復期にあった増田さん。急勾配区間はゆっくり登るということで、一の鳥居までの緩斜面を力強く牽引してくれた。ここを練習コースとし、東京オリンピックの代表にまで上り詰めた増田さんの姿は、かつて修験者や参詣者を導いた先達と重なった。道を知り尽くした大先達そのものだった。
鳥居を過ぎると、脚を緩めた増田さんに感謝を告げて、私は山頂へとペダルを強く踏み込んだ。

それから3か月後、増田さんのSNS投稿が目に留まった。
「慣れ親しんだ最後の40番カーブが、自分の年齢と同じだということに気がついてしまったのは、今年の夏。」
増田さんは、カーブの番号を通過するたびに、これまでの人生を振り返ることがあるという。なだらかな道、勾配のきつい道、荒れた道、くねくね道。まるで歩んできた人生のようだ、と。
そして、こう結んでいた。
「今日からは古峰ヶ原峠にもない40番の先へ行ってみます。」

2026年7月、私は41歳になった。古峰ヶ原のカーブ番号を、一つ超えてしまった。増田さんの投稿が心に残り続けていたのだろう。9月、再び古峰ヶ原へ向かった。今度は一人で。
2年前に増田さんに牽引してもらった緩斜面を流していると、対向車線から一人のサイクリストがやってきた。
目を疑った。増田さん本人だった。
2歳年上の増田さんは、今も現役選手として走り続けている。午後からレース遠征を控える中、束の間の時間をサドルの上で共有してくれた。
再び別れ、一人で登坂を続ける。
ペダルを踏む。40のカーブを、一つずつ越えていく。やがて最後のカーブを越え、40番の看板にたどり着いた。古峰ヶ原峠のカーブ番号は、40で終わる。しかし、人生はその先も続いていく。
この山を歩いた修験者たちを導いた先達のように、増田さんは私を自転車の世界の深くへと導いてくれた。そして今も、変わらず走り続けている。
増田さんも、私も、歳を重ねた。そして古峰ヶ原の「40」という数字があったからこそ、私は再びこの峠へ向かい、思いがけない再会を果たすことができた。
41歳となった私は、古峰ヶ原のカーブ番号には存在しない、人生の、心の、41番目のカーブに、この忘れ得ぬ思い出をそっと刻み込んだ。

参考文献
- 「日本の霊山」がよくわかる本 戸部民生
- 栃木の峠: 峠でたどる暮らしと文化 桑野 正光
- Wikipedia 古峯神社

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