十勝岳温泉(とかちだけおんせん)

日本百名登への道

プロフィール


2026年9月5日。

第10回かみふらの十勝岳ヒルクライム大会、通称「カミヒル」の開会式。会場となった日の出公園に集まった参加者たちが、一斉に目を閉じた。

黙祷。

コースとなるのは、上富良野の市街地から十勝岳温泉へと駆け上がる道。10周年を迎えた大会は、十勝岳の大正噴火から100年という節目でもあった。

再び目を開けた選手たちは、フィニッシュへ向けてペダルを踏み込んでいく。

ヒルクライム前半は、北海道らしい緩斜面の直登が続く。

十勝岳は標高2,077 m。大雪山、トムラウシ山に次いで北海道で3番目に高い山であり、今なお噴煙を上げる活火山である。

そして、この山には「硫黄の山」として歩んできた歴史がある。

明治から大正にかけて、硫黄は火薬やマッチ、ゴム、薬品などに使われる重要な資源だった。十勝岳の火口周辺には純度の高い硫黄が形成されており、明治末期から採掘が始まった。

1917年には平山硫黄鉱業所が中央火口丘で本格的な採掘を開始。噴気を煙道に導き、そこから硫黄を採取する大規模な事業へと発展した。1925年には年間約2000トンを生産するまでになり、鉱夫たちは標高1600mを超える厳しい環境で働いていた。硫黄は馬などによって山から麓へ運び出されたという。

しかし、十勝岳がもたらしたのは資源だけではなかった。

1926年5月24日、十勝岳が大噴火。大量の土砂と融雪水が泥流となって山麓へ流れ下り、上富良野や美瑛などに甚大な被害をもたらした。死者・行方不明者は144人。火口近くの硫黄鉱山も壊滅し、鉱山関係者にも多くの犠牲者が出た。

それでも、人々はこの山を離れなかった。

硫黄採掘は戦後に再開され、1950年代には再び事業が行われた。しかし1962年の噴火では、鉱山施設や宿舎が被災し、職員5人が死亡。さらに、石油精製の過程で低価格の硫黄を回収できるようになると、全国的に硫黄鉱業そのものが衰退していった。十勝岳の硫黄鉱山も、噴火による被災を経て廃鉱となった。

だが、山に残されたものがあった。それが温泉だった。

木々の間から噴煙を上げる十勝岳が顔を出す。

1959年、十勝岳の地形や登山道の開発に尽力していた會田久左エ門(あいた きゅうざえもん)が、標高1,300 m付近で温泉源を発見する。

「登山者のために」

こんな高地に宿を造ることを、誰も理解してくれなかったという。それでも會田は開発を諦めず、資材を山へ運び、温泉を引く工事を進めた。やがて陸上自衛隊の協力によって道路建設も進み、1963年、「雲を凌ぐ宿」凌雲閣が開業する。

そして1961年から始まった「十勝岳産業開発道路」の建設は、現在の十勝岳温泉へ続く道路の礎となった。自衛隊施設部隊による工事は5年間に及び、1965年に凌雲閣前までの道路が完成。温泉と登山のための観光地として、十勝岳は新しい時代を迎えることになる。

その先に、現在のヒルクライムがある。


日の出公園を出ると、しばらくは北海道らしい緩斜面が続く。広い道路が真っ直ぐに延び、集落を抜けると木々の中へ入っていく。

残り5〜6 kmほどからは、依然直線基調の登坂ながら、勾配が明確に増してくる。木々の切れ間から、噴煙を上げる十勝岳が姿を現す。

そして残り2.5 kmほど。白金温泉方面から道道966号が合流すると、道は九十九折となり、14%、13%、14%、9%と急勾配の標識が次々に現れる。

激坂を乗り越えた先に凌雲閣が現れ、その背後には十勝岳連峰の山々が迫る。

最終盤は14%の看板からもわかる通り、急勾配が連続する。

私が初めてこの道を走ったのは2021年だった。

北海道を自転車で旅して感じていたのは、どこまでも続く緩やかな道だった。広大な景色は魅力的だが、ヒルクライムという視点では、少し物足りなさも感じていた。

そんなときに出会ったのが十勝岳温泉だった。

北海道らしからぬ急勾配。そして、登るほどに近づいてくる火山の山並み。その強烈な印象が、百名登の候補を選ぶときにも残っていた。

そして2026年。自身の旅と日程が偶然重なり、カミヒルへの参戦が実現した。

後半に向けて厳しさを増すコースと、ダイナミックな景観は記憶通りであり、ここが北海道最高峰のヒルクライムコースの一つであると再確認した。

十勝岳連峰を目の前にヒルクライムがフィニッシュ。

レースから1週間。9月12日(土)午前9時30分、十勝岳の噴火警戒レベルが3に引き上げられた。火山活動が活発になり、入山規制が敷かれた。

もし大会の開催が1週間遅ければ、レースは中止されていたかもしれない。

硫黄の採掘で栄え、同時に大噴火によって甚大な被害を受けてきた十勝岳山麓。

人々は採掘の歴史を紡ぎ、幾度もの逆境に負けず山へと向かい、温泉を開いた。登山をはじめとする観光を発展させ、やがてヒルクライムレースまでもが行われるようになった。

私たちがサイクリングを楽しむこの道は、かつて採掘された硫黄が運び下ろされ、温泉を開くための資材が運び上げられ、そして、火山泥流が十勝岳から上富良野へと流れ下った道でもある。

たくさんの歴史の上を、私たちは自転車で駆け上がっている。そのことを、忘れてはならない。

十勝岳は今日も噴煙を上げながら、それを私たちに伝えてくれているのかもしれない。

数々の困難を乗り越えて開業した凌雲閣は、今もたくさんの登山者を、そしてサイクリストを暖かく迎え入れてくれる。

参考文献

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