プロフィール
- 北海道斜里町 国道334号
- 標高:739 m
- 登坂距離:13.9 km
- 標高差:733 m
- 平均勾配:5.3%
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森林限界の上に広がる、どこまでも青く突き抜ける空。その下に、巨大な山がどっしりと構えている。
知床連山の主峰、羅臼岳。
標高1,661 mの火山が圧倒的な存在感でそびえ、その向こうには根室海峡。晴れた日には、北方領土の国後島までが手に届きそうな近さで浮かんでいる。
知床峠。
世界自然遺産・知床の核心部を横断する、最果ての峠である。

知床は、なぜこれほどまでに原生の自然が残されたのだろうか。
知床半島は火山活動によって形成された急峻な山々が連なり、海岸には断崖が続く。冬には流氷が押し寄せ、知床峠付近は雪と低温に閉ざされる。知床では海、川、森が一体となった生態系の中で、豊かな生物多様性が育まれている。
この自然は、人の暮らしにとって大きな壁となった。
知床で本格的な開拓が始まったのは20世紀に入ってから。1914〜15年には岩尾別地区への入植が始まり、戦前・戦後を通じて開墾が試みられた。しかし、水利の悪さや転石に覆われた土地、未整備の生活基盤など、開拓には厳しい条件が立ちはだかった。
長く厳しい冬の自然環境も相まって、知床の開発は北海道の他地域に比べて進まなかった。
そして1964年、知床半島は国立公園に指定された。
開発が進まなかったことと、自然を守るという時代の流れ。その二つが重なり、知床は「開発する場所」から「残すべき場所」へと、その価値を変えていった。
さらに1977年、知床の自然保護を象徴する取り組みが始まった。
「しれとこ100平方メートル運動」
高度経済成長の中で、知床国立公園内の開拓跡地が乱開発の危機にさらされると、斜里町は全国から寄付を募り、その土地を買い取って原生の森を再生する運動を開始した。20年間で約4万9千件、約5億2千万円の寄付が集まり、開拓跡地の買い取りはほぼ完了。その後は「守る」だけでなく、「森を再生する」取り組みへと発展している。
こうして知床には、自然そのものの厳しさだけではなく、人の手によって自然を残そうとする歴史も積み重なっていった。
2005年には、その価値が世界にも認められ、世界自然遺産に登録された。
そして、この大自然を貫いて一本の道路が延びている。
知床横断道路である。

ウトロと羅臼を結ぶ国道334号、知床横断道路。
その建設は1963年に始まった。
両町を結ぶ道路は地域にとって長年の悲願だったが、知床の厳しい地形と気象条件が工事を阻んだ。特に羅臼側は急峻な山岳地帯で、気象変化も激しい。それでも工事は続けられ、開通までに実に18年を要した。
その過程では、自然環境への配慮から大規模な切土を避け、斜面に橋を架ける工法も採用された。代表的な翔雲橋は1972年に着工し、4年をかけて完成している。
1980年、ついに知床横断道路が開通。
知床横断道路は、単純に自然を切り拓いて造られた道ではない。地域を結ぶ生活道路でありながら、厳しい自然条件の中で、自然環境との折り合いをつけながら造られた道路でもある。
だからこそ現在、私たちはこの道を自転車で走りながら、知床の大自然を体感することができる。

ウトロと羅臼をつなぐ知床横断道路。どちらの登坂も捨てがたいが、ヒルクライムという視点で一つ選ぶとしたら、私はウトロ側を選びたい。
スタートは、オホーツク海を目の前に望むウトロの市街地。すぐに幌別橋が現れ、大海原を横目に、道路は真っすぐ空へ向かって標高を上げていく。
しばらくすると海の気配は遠ざかり、景色は知床の原生林へと変わっていく。ヒグマをはじめとする野生動物が暮らす森へ、自ら踏み込んでいく。登坂の前半ですでに、知床の自然を形づくる海と山、その両方を味わうことができる。
やがて、木々の間から知床連山の主峰、羅臼岳が姿を現す。

日本百名山にも選ばれた火山であり、山頂付近には巨大な溶岩ドームを持つ特徴的な山容が広がっている。一度その姿を視界に捉えたら、羅臼岳はそれ以降、この登坂の主役であり続ける。木々に隠れては、再び現れる。そのたびに、山は少しずつ大きくなっていく。
気づけば森林限界に達し、視界を遮るものはなくなる。羅臼岳はいつの間にか、常にそこにある存在となっている。一方で、先ほどまで身近に感じていた海は、はるか下界へと遠ざかっている。
やがて羅臼岳が最も近くに感じられる場所で、勾配が緩み始める。そこが知床峠である。標高738mの峠に立つと、眼前には根室海峡が広がり、その先に北方領土の国後島が浮かんでいる。
オホーツク海を望むウトロの集落から、知床の海、原生林、羅臼岳、そして森林限界へ。最後には峠から国後島を眺める。景色の移り変わりとともに、知床という土地のスケールを体感できる。それが、ウトロ側のヒルクライムである。

私が初めて知床峠を訪れたのは2023年。ウトロ側、羅臼側の両方を登った。
北海道らしい緩やかな勾配でありながら、圧倒的な距離感とスケールで迫ってくる大自然。登ることそのものよりも、その景色の中へ深く入り込んでいく感覚が強く残った。
羅臼に泊まり、無料の露天風呂「熊の湯」で汗を流し、ライダーズハウスに泊まって、セイコーマートの惣菜をつまみに一人で晩酌する。これ以上ないほど「北海道の一人旅」を満喫した。
そして2026年、再び知床峠へ。
今回も両側から登り、百名登としてどちらを選ぶかを確かめた。考えた末、私はウトロ側を選んだ。しかし、正直に言えば甲乙はつけがたい。

知床峠は、日本百名登の最北端であり、最東端でもある。
最後まで人の手が届かなかった、最果ての土地。その厳しい自然が開発を阻み、残された自然を守ろうとする人々の活動が生まれ、やがて一本の道路がこの地を貫いた。
だから今、私たちは世界自然遺産の大自然を、信じられないような絶景の中を、自転車で駆け抜けることができる。過酷な自然と、人間による開発が、奇跡的なバランスで生み出した、最果てのヒルクライム。
それが、知床峠である。

参考文献
- 日本百名山 著:深田久弥
- 知床データセンター 知床世界自然遺産の経緯
- Wikipedia 羅臼岳

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