知床峠(しれとことうげ)

日本百名登への道

プロフィール


森林限界の上に広がる、どこまでも青く突き抜ける空。その下に、巨大な山がどっしりと構えている。

知床連山の主峰、羅臼岳。

標高1,661 mの火山が圧倒的な存在感でそびえ、その向こうには根室海峡。晴れた日には、北方領土の国後島までが手に届きそうな近さで浮かんでいる。

知床峠。

世界自然遺産・知床の核心部を横断する、最果ての峠である。

斜里の市街地から知床半島に踏み込むと、羅臼岳(右奥の山)の姿が大きくなってくる。

知床は、なぜこれほどまでに原生の自然が残されたのだろうか。

知床半島は火山活動によって形成された急峻な山々が連なり、海岸には断崖が続く。冬には流氷が押し寄せ、知床峠付近は雪と低温に閉ざされる。知床では海、川、森が一体となった生態系の中で、豊かな生物多様性が育まれている。

この自然は、人の暮らしにとって大きな壁となった。

知床で本格的な開拓が始まったのは20世紀に入ってから。1914〜15年には岩尾別地区への入植が始まり、戦前・戦後を通じて開墾が試みられた。しかし、水利の悪さや転石に覆われた土地、未整備の生活基盤など、開拓には厳しい条件が立ちはだかった。

長く厳しい冬の自然環境も相まって、知床の開発は北海道の他地域に比べて進まなかった。

そして1964年、知床半島は国立公園に指定された。

開発が進まなかったことと、自然を守るという時代の流れ。その二つが重なり、知床は「開発する場所」から「残すべき場所」へと、その価値を変えていった。

さらに1977年、知床の自然保護を象徴する取り組みが始まった。

「しれとこ100平方メートル運動」

高度経済成長の中で、知床国立公園内の開拓跡地が乱開発の危機にさらされると、斜里町は全国から寄付を募り、その土地を買い取って原生の森を再生する運動を開始した。20年間で約4万9千件、約5億2千万円の寄付が集まり、開拓跡地の買い取りはほぼ完了。その後は「守る」だけでなく、「森を再生する」取り組みへと発展している。

こうして知床には、自然そのものの厳しさだけではなく、人の手によって自然を残そうとする歴史も積み重なっていった。

2005年には、その価値が世界にも認められ、世界自然遺産に登録された。

そして、この大自然を貫いて一本の道路が延びている。

知床横断道路である。

国道334号線「知床横断道路」。世界自然遺産を貫く最果ての山岳道路である。

ウトロと羅臼を結ぶ国道334号、知床横断道路。

その建設は1963年に始まった。

両町を結ぶ道路は地域にとって長年の悲願だったが、知床の厳しい地形と気象条件が工事を阻んだ。特に羅臼側は急峻な山岳地帯で、気象変化も激しい。それでも工事は続けられ、開通までに実に18年を要した。

その過程では、自然環境への配慮から大規模な切土を避け、斜面に橋を架ける工法も採用された。代表的な翔雲橋は1972年に着工し、4年をかけて完成している。

1980年、ついに知床横断道路が開通。

知床横断道路は、単純に自然を切り拓いて造られた道ではない。地域を結ぶ生活道路でありながら、厳しい自然条件の中で、自然環境との折り合いをつけながら造られた道路でもある。

だからこそ現在、私たちはこの道を自転車で走りながら、知床の大自然を体感することができる。

ウトロの市街地からオホーツク海を横目にヒルクライムがスタートする。

ウトロと羅臼をつなぐ知床横断道路。どちらの登坂も捨てがたいが、ヒルクライムという視点で一つ選ぶとしたら、私はウトロ側を選びたい。

スタートは、オホーツク海を目の前に望むウトロの市街地。すぐに幌別橋が現れ、大海原を横目に、道路は真っすぐ空へ向かって標高を上げていく。

しばらくすると海の気配は遠ざかり、景色は知床の原生林へと変わっていく。ヒグマをはじめとする野生動物が暮らす森へ、自ら踏み込んでいく。登坂の前半ですでに、知床の自然を形づくる海と山、その両方を味わうことができる。

やがて、木々の間から知床連山の主峰、羅臼岳が姿を現す。

木々の間から姿を現した知床連山の主峰「羅臼岳」。山頂の溶岩ドームが圧倒的な存在感を放つ。

日本百名山にも選ばれた火山であり、山頂付近には巨大な溶岩ドームを持つ特徴的な山容が広がっている。一度その姿を視界に捉えたら、羅臼岳はそれ以降、この登坂の主役であり続ける。木々に隠れては、再び現れる。そのたびに、山は少しずつ大きくなっていく。

気づけば森林限界に達し、視界を遮るものはなくなる。羅臼岳はいつの間にか、常にそこにある存在となっている。一方で、先ほどまで身近に感じていた海は、はるか下界へと遠ざかっている。

やがて羅臼岳が最も近くに感じられる場所で、勾配が緩み始める。そこが知床峠である。標高738mの峠に立つと、眼前には根室海峡が広がり、その先に北方領土の国後島が浮かんでいる。

オホーツク海を望むウトロの集落から、知床の海、原生林、羅臼岳、そして森林限界へ。最後には峠から国後島を眺める。景色の移り変わりとともに、知床という土地のスケールを体感できる。それが、ウトロ側のヒルクライムである。

目の前に浮かぶ国後島。あそこにも峠道があるのだろうか。

私が初めて知床峠を訪れたのは2023年。ウトロ側、羅臼側の両方を登った。

北海道らしい緩やかな勾配でありながら、圧倒的な距離感とスケールで迫ってくる大自然。登ることそのものよりも、その景色の中へ深く入り込んでいく感覚が強く残った。

羅臼に泊まり、無料の露天風呂「熊の湯」で汗を流し、ライダーズハウスに泊まって、セイコーマートの惣菜をつまみに一人で晩酌する。これ以上ないほど「北海道の一人旅」を満喫した。

そして2026年、再び知床峠へ。

今回も両側から登り、百名登としてどちらを選ぶかを確かめた。考えた末、私はウトロ側を選んだ。しかし、正直に言えば甲乙はつけがたい。

知床は北海道随一のヒグマの生息地。注意看板は親子連れ。

知床峠は、日本百名登の最北端であり、最東端でもある。

最後まで人の手が届かなかった、最果ての土地。その厳しい自然が開発を阻み、残された自然を守ろうとする人々の活動が生まれ、やがて一本の道路がこの地を貫いた。

だから今、私たちは世界自然遺産の大自然を、信じられないような絶景の中を、自転車で駆け抜けることができる。過酷な自然と、人間による開発が、奇跡的なバランスで生み出した、最果てのヒルクライム。

それが、知床峠である。

海、山、空。そして道。知床横断道路は日本有数の絶景ヒルクライムである。

参考文献

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