榛名山・天神峠(はるなさん・てんじんとうげ)

日本百名登への道

プロフィール


残り4 km。

思い描いていたレース展開とは程遠い。視界から消えていく先頭集団。優勝を争うまではいかないにしても、良いところで戦えるのではないかと思っていた。

それでも、ペダルを踏まなければ終わらない。

雑念も薄らいでいく。緩むことのない急勾配が、余計な思考を剥ぎ取っていく。フィニッシュが近づくにつれて、考えはシンプルになる。

ただ、前へ進む。

2026年5月10日。榛名山ヒルクライム。レースは終盤を迎えていた。

ハルヒルスタート会場付近から望む榛名山。50万年に及ぶ火山活動が作り出した特徴ある山容。

群馬県高崎市、渋川市、東吾妻町にまたがる榛名山。

約50万年に及ぶ火山活動によって形づくられた山は、平地からでも一目でわかる独特の山容を持つ。

そして榛名山は、古くから人々の祈りとともにあった。

山そのものを神宿る存在として崇め、利根川水系を支える水源として、雨を願い、火を鎮め、豊かな実りを祈る。榛名神社を中心とした信仰はやがて山岳修験と結びつき、榛名山は厳しい修行の場となっていった。

しかし、江戸時代に入ると、この山に大きな変化が訪れる。

雨乞い信仰を背景に「榛名講」が関東一円へ広がり、それまで修験者たちのものだった聖地は、庶民がこぞって目指す参詣地へと変わっていった。

村々から代表者が榛名山を訪れ、祈りを捧げる。険しい山を越えて神社を目指すことそのものが、信仰の一部だったのである。

1400年の歴史を誇る古社・榛名神社。巨岩と一体となった社殿は国の重要文化財に指定されている。

伊香保温泉を中心とした観光が主流となった現在、榛名神社を訪れるルートは「伊香保からヤセオネ峠を越えて榛名湖へ至り、天神峠を下って榛名神社へ向かう」という形が一般的となった。

しかし古来、修験の表参道として人々が行き交ったのは「室田道」である。この道は高崎市の下室田を発ち、榛名神社へと至る。榛名神社から先は一転して神聖な「行場」となり、険しい天神峠を越えて、奥の院として崇められた榛名湖へ下り、湖水で身を清めた。天神峠をはじめとする外輪山の峰々や稜線は、修験において極めて重要な鍛錬の場だったのである。

つまり、伊香保温泉の興盛を境界線として、榛名神社へのアプローチのベクトルは180度正反対になったのだ。

そして今、榛名山ヒルクライム(ハルヒル)のコースは、古来の修験道「室田道」の経路と見事に重なり合っている。長い時を超えて、再び多くのサイクリストが自らの脚でこの坂に挑み、榛名の峰を目指して己と向き合う「現代の修行」に打ち込んでいるのである。

ハルヒルのコースは進むにつれて木陰が美しい道となる。前半は勾配も穏やかである。

ハルヒルのコースは、室田の交差点からスタートする。

沿道からたくさんの声援を浴びながら、榛名山の外輪山の縁にあたる天神峠を目指す。前半は緩斜面が続く。レースともなればドラフティングが絶大な効果を発揮し、集団はハイスピードで駆け抜けていく。

やがて一之鳥居が見えてくる頃には民家が姿を消し、少しずつ山の中へ引き込まれていく。距離が進むにつれて勾配は増し、森は深くなる。県道33号へ合流する頃には下界の喧騒から完全に離れ、聞こえるのは選手たちの荒い息遣いと、集団が切り裂く風の音だけだ。

県道33号と合流するとコーナー番号のカウントアップが始まる。35番コーナーがフィニッシュの天神峠。

本格的な登りが始まると、いよいよ振るい落としが始まる。速度が落ちるにつれてドラフティング効果は薄れ、純粋な出力の差が露わになっていく。

そしてラスト4km。目の前に榛名神社の大鳥居が現れる。ここからが本当の勝負だ。

しかし、私の脚はすでに限界を迎えていた。

今も宿坊が残る榛名山大鳥居で決戦の火蓋が切られる。この先は急勾配が続く試練の始まりである。

レース前日、ハルヒル歴代王者の加藤大貴くんから、こんなアドバイスをもらっていた。

「神社以降は、ただの10分走だと思えばいい」

優勝争いという極限状態にありながら、彼がたどり着いた結論は、相手をどう叩くかではなく、自分の力を100%出し切ることに集中するという、極めてシンプルなものだった。

実際、神社を過ぎて天神峠の壁に挑んだ私は、集団から遅れて単独走を強いられた。悔しさも、敗北感もあった。だが、目の前に立ちはだかる激坂の前では、それすらあっという間に吹き飛んでいった。

ただペダルを踏み込む。自分を前へ進める。それだけに全神経が削ぎ落とされていく。

かつてこの道を歩き、険しい峰々に挑みながら自身を鍛えた修験者たちもまた、同じような境地に達していたのではないだろうか。

現代のロードレーサーが天神峠で繰り広げる「10分走」。それは時代を超えて再現された、究極の「現代の行」なのかもしれない。


順位もわからない。一人で天神峠のフィニッシュラインを切った。そのままカルデラの中へ、榛名湖へと向かって下っていく。晴れ渡る空の下、静かに佇む湖。その向こうには、整った円錐形の榛名富士が横たわっている。

フィニッシュの天神峠。ここで長く厳しい登坂が終わる。この先はカルデラの中へと、榛名湖畔まで下って行く。

期待していた結果とは、程遠かった。それでも、心は不思議と晴れやかだった。

かつて江戸からの近さも手伝い、爆発的な興盛を極めた榛名参拝。その熱気は今、榛名山ヒルクライムへと確かに受け継がれている。

首都圏からのアクセスの良さ。沿道の温かい歓声。そして、自らの脚で自分と向き合う激坂の試練。

形は変わっても、山を目指す人々の姿は変わらない。修験者が歩き、榛名講の人々が祈った室田道を、今はサイクリストが駆け上がる。その根底には、かつて修験者たちを惹きつけてやまなかった「過酷な行の果てにだけ出会える景色」が、今も変わらず息づいているに違いない。

穏やかな榛名湖越しに望む、美しい円錐形の榛名富士。

参考文献

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